特集
誰ひとり取り残さない
サプライチェーンの構築に向けて
マルハニチログループは2022年に見直したマテリアリティの中で「事業活動における人権の尊重」を掲げています。事業を行うにあたり、当社グループや水産業界において発生しうる人権侵害や労働慣行などの課題について、専門的な知識を持つ社外有識者との意見交換を行いました。
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小梶 聡常務執行役員
マルハニチロ株式会社
加工食品セグメント長 生産管理部/直営工場担当 -
足立 克弘執行役員
マルハニチロ株式会社
経営企画部/マーケティング部/財務部担当 -
指宿 昭一氏
暁法律事務所
外国人技能実習生問題弁護士連絡会共同代表、外国人労働者弁護団代表、日本労働弁護団常任幹事
・1885年筑波大学比較文化学類卒業
・2007年弁護士登録(第二東京弁護士会)
・著書として「使い捨て外国人~人権なき移民国家、日本~」(2020年・朝陽会) -
田中 竜介氏
ILO駐日事務所プログラムオフィサー 渉外・労働基準専門官
SDGsやビジネスと人権等の文脈において国際労働基準の普及活動に従事。日本の政府、使用者・労働者団体、市民社会との協業、諸国大使館との連絡窓口も担う。経済産業省人権尊重のためのガイドライン検討会委員(元)。ILO‐GCNJ企業内専門人材育成プログラム主任講師など企業講演多数。
顕著な人権課題の特定をするにいたった背景と課題認識
足立:2015年にタイにある当社グループ会社が奴隷労働で殻むきしたエビを使用しているという報道がなされました。結果的には、当社グループの関与はなく事実誤認でしたが、欧米各国からタイの水産物に対する批判が強まり、当社グループにも相当な影響が生じた中で、初めてビジネス上の人権リスクというものを間近に感じたという経緯があります。その後、人権方針の策定やアンケートによるサプライヤー調査、技能実習生などの雇用に関するガイドラインの策定など個別の対応をしてきました。しかしながら、改めて網羅的にリスクを把握し、当社が優先的に取り組むべきことを明確化し対処していくことが必要との考えに至り、どのようなリスクが事業上内在しているか、課題とリスクを抽出しました。結果として、国内外自社グループでの強制労働や人身取引、自社グループの船上での権利侵害、海外駐在するグループ社員の安全・衛生、そしてサプライヤーの強制労働や人身取引・児童労働、を当社が優先的に解決すべき課題として特定しました。特にサプライヤーについては実態を十分に把握しきれていない点が、これからの課題と考えています。
国内の移住労働者が抱えている人権課題
指宿:技能実習生に関しては、基本給が最低賃金ギリギリで設定された上で、住宅費・光熱費など、不当に高額な金額が給料から控除をされることで手取りが3-4万円という事例が多くあります。送り出し機関に対して多額の渡航前費用、紹介手数料を借金で賄い払って来日するケースが多く、一種の債務労働のような状態となっており、何かあっても文句を言えず、やめることも出来ません。原則職場を変えられない点が、国際的に見て本制度が奴隷労働や強制労働といわれていることの所以となっています。
ある実習生に対して日々暴行が行われていたケースで、毎朝無事を祈りながら2年半ほども職場を離脱することが出来なかったのは、借金があったからでした。労働基準法に関しての2022年の調査では9,828事業所中7,247事業所で違反が見つかりましたが、申告があった数はわずか145件です。職場の転籍が原則禁止されていることがこの奴隷的状況に輪をかけており、物を言えない労働者になってしまっています。また、強制帰国は違法行為ですがあまり問題にされておらず、これが怖くて被害の申告や相談が出来ないということがよくあります。送り出し機関やブローカー、受け入れ企業などから人権侵害的なルールが押し付けられ、違約金や保証金の没収、帰国や解雇ということが行われています。妊娠により強制的に帰国させるケースも多々あり、私のところにSOSの電話が入ることもあります。
雇用をしている企業側が抱えている課題
指宿:企業にとっては、受け入れ費用の負担が重荷になっています。実習生一人当たり初期段階で50~100万円、管理費が月3~4万円、それ以外にも在留資格の更新や技能検定試験などの費用を払っていますので、転籍されると困るというのは分からなくもないですが、転籍禁止が制度化されることにより、職場に問題があっても辞められないという問題が起こります。技能実習生を受け入れている企業の約半数が10人以下の企業と言われており、漁業でも適正な労務管理が出来ていないケースや、工場現場でも入社して日もたたずに大きな事故を起こしてしまうという労災事故も多く発生しています。
サプライチェーンでは外国人労働者の雇用実態が中々把握できず大変だと聞いていますが、人権侵害問題が起きた場合、レピュテーションリスクが発生します。中小零細企業の賃金不払いでブランド企業に申し入れを行い、メディアにより報道されて話題になった件では、後日会社を訪問し、詳しくお話を伺ったところ100点中70点くらいの対応はされていたことが分かり、あの報道は気の毒だったなという想いを持ったことがあります。万が一、人権侵害問題が起こった際は、関係者が協力をして侵害された実習生の権利を回復しながら企業イメージが大きく傷つかないような解決策を探るべきです。サプライチェーンで起こった問題について、どこまで救済措置をはかれるのか、可能な限り対応をしていただくことが企業の社会的責任を果たすことにつながり、企業イメージもプラスになるのではないでしょうか。
小梶:事業所へのアンケート調査や現場視察を経て、本年から技能実習生などの外国人雇用に関してのガイドラインの運用を開始しています。各事業所での運用状況を確認しながら体制の整備をしていきたいと考えています。各事業所が現場に沿った形で自走できることが大事なので、研修の実施など教育体系を整えていくことにも注力していきます。借金の問題については雇用者支払いの原則への対応が一番の課題です。監理団体や有識者の皆様から助言をいただきながら、現地NGOの探索や協創パートナーとの関係構築も進めていきます。多言語での窓口がない救済メカニズムは喫緊の課題なので救済機関のNGO等への加入なども検討をして行きます。
日本企業の抱える課題と国際基準とのギャップ、漁業・食品業界における強制労働
田中:社会の構造的課題があり利益も追わねばならない中で見失いがちになるのが人権デューデリジェンスを実施する目的です。人権への負の影響への対処のみならず、バリューチェーンを通じた魅力的な職場作りが、多数の労働者を惹きつけ、御社商流全体をサステナブルにしていくというようなプラスのビジョンが見えていると、現場もついてきてくれるのではないでしょうか。ガイドラインなどは問題が「無い」ことの確認のために運用されている側面があり、強制労働等を実際に発見し是正していくことに対応できていない可能性があります。現場の声を聴き要望を理解した上で、少しでも取組みの進捗があれば開示をしていくことが社会との対話の出発点だと思います。
昨今、水産業界には本当に厳しい目が向けられています。ディーセント・ワーク※1の課題が多々あることからILOでは漁業条約188号を採択しました。ここでは児童労働の多さや、借金の問題、公海上での移住労働者の強制労働、船中の居住設備や食料、労働安全衛生基準、医療ケアの問題も確認されています。病気の際に衛星通信を通じて医者に見てもらえるなど救済措置の必要性も条約で触れられており、携帯電話など身近な手段で救済にアクセスできることが非常に重要です。
サプライヤーとの取引関係について、人権リスクがあるという理由だけで取引を切ってしまった先に、被害者がどうなるかを是非考えていただきたいです。課題を発見すれば評価される、最前線で人権をウォッチしている従業員が励まされ、バリューチェーン全体の価値向上に努力が集約していくプラスのインセンティブが大事だと思います。
足立:サプライチェーン上の人々の幸せの実現に向かって一歩一歩進めていく姿勢と現状を知るということが重要と感じました。救済メカニズムが外国人労働者の一人ひとりにいきわたる仕組みや監査手法は具体的にはどのように進めるべきでしょうか。
田中:一人ひとりの労働者の立場から事実を見てみることが大事です。第三者監査を実施しているNGOなどの協力を得ながら、公海上で旗国のガバナンスが届かずIUU漁業の温床になっているような、指摘されると水産業全体のレピュテーションリスクになるところに焦点を当てていくことも有用でしょう。
救済メカニズムの構築にあたっては、船上や工場の現場で労働者が必要な時にアクセスできる実効的なツールが必要で、「助けてください、ここにいます」、と声を上げることが推奨される環境が必須です。サプライチェーンの透明性向上には困難を伴いますが、重要なのは人権リスク発見のために一歩でもリスクのある現場に近づく努力をしていること、またこれを妨げる構造的課題がある場合はその事実についても、経営者がしっかりと分析して外部に伝えられることです。
指宿:企業経由で告知されている相談窓口は、労働者から信頼を得るまでに時間がかかるため、まだまだ通報件数は多くありません。 裏切られるのではないかと警戒しているのだと思いますが、事例が一つあった際にはそこから多くを学べます。問題が起こると関係者全員が殺気立ち、企業側はできるだけ穏便に解決したい、こちら側はメディアの力を背景に言うことを聞いてもらうという形で建設的な話になりづらいですが、双方解決や救済を目指す中ではお互いに学ぶことがあるはずです。膝を詰めて踏み込んでいくことで実態が把握できると思います。メディアも含め冷静になって深堀していく取組みが大事だと思います。
小梶:ないことを前提にすると変化は起こらないので、小さくとも課題があれば外に出していくことで、いろいろなリアクションがあり、さらに新たな気づきがある点が参考になりました。我々もそういう姿勢で動いていかなければならないと強く思いました。
足立:実習生の失踪もあります。残念な話ですが、その際社内的には淡々と報告だけで終わってしまうという部分があります。実習生にしてみればビザなど様々な問題が出てくるので、なんとかして防ぎたいと思いますが、失踪が起きた時に留意すべきことはありますか。
指宿:失踪の原因を調査していただきたいです。適法に賃金を払っていても、このままだと借金を返しきれないとか、返せたとしてもお金がたまらずに何のために日本で苦労して働いたかわからないとなると、失踪してでも働いてお金を稼ごうとする人も確かにいます。ですが今まで見えていなかった問題があるかもしれませんので、失踪した実習生が悪いと決めつけずに調査をしていいただくことが先々の失踪の防止につながると思います。
足立:借金を背負っているなどで本人に負担がかかっていることが失踪の原因にもなっているということで、やはりまずは実態を把握していくことが重要だと感じました。
指宿:給料が1.5倍になるなどSNSでの悪い誘いもありますので、職場や地域での相談出来る人の存在が重要です。地域の方と親しく交流していた実習生が、悪い誘いと気が付かずに、転職したいと相談したところ、騙されるから行くなと一生懸命説得されて思いとどまったというケースもあります。
※1 ディーセント・ワーク: 働きがいのある人間らしい仕事、より具体的には、自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、全ての人のための生産的な仕事を指し、SDGsの目標8の中核的概念となっている。
マルハニチロに対しての期待
田中:御社は業界のリーダーの立場にあると思うので、問題を特定していくことや救済窓口を設置していくことを業界レベルで進めていくのも良いと思います。
社内研修ではすべての社員に人権の意識を持ってもらうことに加え、自身の業務と会社のサステナビリティを結びつけていく作業が大事です。自社製品が消費者に届くまでのバリューチェーン全体に目を向け、すべての職場で個が尊重される働きやすい職場をつくっていくことが、会社の価値につながっていくということを気づいてもらえるような研修にしていただきたいです。
強制労働がないように、社内でしっかりとした確認と啓発、行動のための勇気づけを行うと、最前線に立っている従業員の方々が取引先に伝えて行ってくれます。取引先が人権デューデリジェンスを自分事として出来るようになればその先の取引先にもつながっていきます。取引先は監査される対象でもありますが、自ら気づいて能動的に進めることもできる存在でもあります。それぞれの能力を引き出すような働きかけを従業員にも取引先にも平等に実施していただけるとありがたいです。
指宿:村祭りで、ベトナム料理の屋台を出し、アオザイを着て、一緒に盆踊りして地域からもすごく歓迎されたケースがありました。実習生達も楽しくて、帰国後に友達や家族にもその地域を推薦したりしています。その逆もあってギスギスしだすと問題も起きやすくなります。労働者を大事にすることで企業も発展させるという発想があると上手く歯車がかみ合うのではないでしょうか。 水産業が抱える課題として、問題が起きやすい、また報道がされやすいという側面があると思います。だからこそ御社が業界のリーダーとして真摯な取組みを進めるということが、業界を変え他の業界にも影響を与えていくと思います。
足立:ガイドラインは会社側が主語になってしまいがちですが、働いていただいている労働者に焦点が当たるという形が必要だと思いました。どうもありがとうございました。
小梶:人と人との関わりの中で我々企業は生きておりますので、そこにはベースとして人権があり、相手の立場になり想像力を働かせて活動をしていくということが大事だと改めて感じました。 本日は貴重なお話ありがとうございました。