SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

近代~現代のサケ漁
北洋サケマス漁業の展開2/昭和20年(1945)~現在
北洋における戦前と戦後のサケ・マス漁場
昭和20年太平洋戦争が終わり、ようやく昭和27年に北洋漁業は再開されますが、漁場は戦前と大きく変更され、アリューシャン列島を中心とした公海上に限定されました(地図内:昭和27年最初の区域)。しかし、操業水域を西方カムチャッカ方面へ拡げる希望が業者から起こり、これによって昭和27年7月 4日、カムチャッカ・千島の距離70~100カイリのところまで西方に、許可水域が拡張されました(地図内:昭和27年拡張された区域)。
この地図は水産講座漁業編第8巻別刷「サケマス漁業」菅野進著より改図いたしました。
北洋漁業の再開

第77あけぼの丸
オホーツク海、アリューシャン諸島近海の北洋漁場は、北東大西洋漁場(北海)、北西大西洋漁場(ニュ-ファンドランド島近海)と並ぶ世界三大漁場の1つであり、江戸時代よりその漁場開発は日本人によるところが大きかったのですが、第二次世界大戦敗戦の結果、北洋における漁業権益はすべて放棄せざるを得ませんでした。
北海道・東北の北洋漁業者にとっても、樺太や北千島・南千島からの引揚者や、北海道の沿岸漁業者にとっても、北洋漁場は先祖代々、我が家の前庭のようなものでした。
昭和20年8月、日本を占領したアメリカ軍は、公海の大部分における漁業活動を禁止しました。北洋においては、いわゆるマッカーサーラインによって、北緯45度線以北への出漁は許可されませんでした。
このためサケマス漁業は、北海道の釧路、根室などを根拠地とする小型流し網漁船によって、春から初夏にかけて北海道東岸沖を通過するトキシラズやカラフトマスを対象に、小規模に営まれるにすぎませんでした。再び北洋に出漁したいという漁業関係者の願いは強く、占領軍当局にたびたび陳情しましたが、出漁は許可されませんでした。  
独航船の出航風景
昭和26年、対日平和条約が調印され、日本、アメリカ、カナダ三国間に「北太平洋の公海漁業に関する国際条約」が締結され、日本は西経175度以西の海域でサケマス漁業を操業することができるようになりました。(マッカーサーラインの撤廃)
しかし、日本はソビエトとは法的には戦争状態であったことから再開された北洋漁業は大規模ではなく試験操業として実施されました。
昭和27年の操業は日魯漁業(現マルハニチロホールディングス)・大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)・日本水産の三社三船団、独航船50隻とし、5月5日から7月11日までの67日間で201万尾を漁獲、翌28年には771万尾の大成功を収めました。
母船式サケマス漁業の復活

母船に接舷する独航船
戦前の母船式サケマス漁業は、カムチャッカ半島南部の海岸で、5カイリ程度の沿岸に母船を碇泊させて操業しました。ところが、戦後の操業海区はアリューシャン列島を中心とした公海上。このあたりは低気圧の墓場といわれるほど海霧の発生が多く、戦前においては航海計器の不備から操業が不能であったところです。
それが戦後になるとガスの中でも母船はロラン(漁船が安全な航行や操業をもたらすために利用される電波航法システム)による位置の確認が可能になり、レーダーにより独航船(母船の周りでサケをとる船)の指揮ができ、また方向探知機により独航船は母船を見失うことなく、操業ができるようになりました。また、戦前にくらべ漁船は戦後50トン以上と大型化しました。
北洋漁業と日ソ漁業条約
昭和29年から母船式サケマス漁業は本格的に操業されるようになり、昭和30年にはオホーツク海にも出漁。水揚げ高は増えていきました。
年々急増する日本の母船式漁業はソビエトを刺激し、ソビエトは新たな規制をきめました。
東経170度25分に、いわゆるブルガーニンラインで規定される区域で日本の漁獲高に一定の限度を設け、またこの海区への出漁にはソ連の許可が必要になりました。
その結果、日ソ漁業条約が締結されて、ブルガーニンライン内における日本漁船によるサケマス漁獲高は55000トンに決まり、出漁予定の船団を削減せざるを得なくなりました。
昭和33年にはオホーツク海における母船式漁業は禁漁になったのをはじめ、いくつかの海区に禁漁区が設けられました。さらに昭和37年、それまで規制水域であったA区域に加えて規制区域外であったB区域においても規制を行うことになりました。
 
母船に接舷し、モッコで魚を母船へ

母船での計量
  毎年春、モスクワもしくは東京で開催される日ソ漁業交渉で、その年の北洋のサケマス漁獲高が決定されるようになりました。昭和37年以降母船式漁業に対する割当量は4万トン台になり、昭和43年以降は3万トン台に低下。毎年、母船側と道東の基地から出航する流し網船側の漁獲配分が大きな政治問題になりました。
200カイリ時代の到来
昭和51年12月、ソビエトが沿岸200カイリを漁場専管水域に指定したことから、日ソ漁業暫定協定は、昭和53年3月から開始され、5月25日になってようやく妥結をみました。
その結果、ソビエトの200カイリ内のサケマス漁は全面的に禁漁となり、200カイリ外の北洋において52年度62000トンの漁獲が認められました。(A区域で29500トン、B区域で32500トン)これは昭和50年の実績に比べ3割以上の削減となり、北洋漁業は大きな打撃を受けました。
昭和52年度(1977)サケマス操業区域図
ソビエトが沿岸200カイリを漁場専管水域に指定したことから、日本の北洋漁業は大きな転機に立たされました。日魯漁業経営史(現マルハニチロホールディングス)第2巻より
母川国主義
このように、200カイリ外の公海上で沖取りするサケマス漁業が規制されるのは、サケマスなど遡河性魚類(河で生まれ、河に戻る魚)に対して、国連海洋法で「母川国主義」がとられるようになったからです。200カイリ外の水域でも母川国の管理権がおよぶため、日本は漁業協定とは別にソビエトと協議して、サケマスの漁獲量を決めなければならないようになっていきました。
昭和62年度(1987)サケマス操業区域図
サケマスの母川国が、第1義的利益および責任を有するという母川国主義の主張により、操業区域や操業回数を縮小され、もはや母船式での操業は難しくなりました。
日魯漁業経営史(現マルハニチロホールディングス)第2巻より

漁を終えた母船
  毎年、縮小される漁獲量と高騰する漁業協力費に対し、母船式サケマス漁業は経営が難しくなり、昭和63年を最後に打ち切られました。その後、母船式独航船等による流し網漁業や、北海道を基地とする流し網漁業(中型サケマス流網漁業と小型サケマス漁業)のみが継続されてきました。
(注)
●中型サケ・マス流網漁業・・・・中型船 60~70トンが主体(乗組員16人)
中型サケ・マス流網漁業は、旧母船式漁業から転換した基地式の中型船サケ・マス流し網漁業と、従来の太平洋に出漁する中型船サケ・マス流網漁業とがあります。
●小型サケ・マス漁業・・・・・・・小型船10トン未満(乗組員7人)19トン(乗組員9人)
小型サケ・マス漁業は、太平洋の日本200海里内を操業する以西船と太平洋の東経154度以東を操業する以東船があります。
4カ国条約による公海でのサケマスの漁獲禁止
その後、北洋サケマス漁業は、日ソ漁業協力協定等により決定された漁獲量、操業期間、操業海域等に基づいて操業されていましたが、サケの母川国主義や海産哺乳動物の混獲などから、平成5年(1993)に発効した「北太平洋における塑河性魚類の系群の保存に関する条約」いわゆる4カ国条約により公海でのサケマスの漁獲が禁止されました。日本船による北洋サケマス漁業は、1年早い平成4年から公海では行わず、日本200カイリ内とロシア200カイリ内でのみの操業を行うようになりました。
平成5年度(1993)ロシア200カイリ水域内サケマス操業区域
平成5年(1993)に発効した4カ国条約により公海でのサケマスの漁獲が禁止され、日本船による北洋サケマス操業区域は、日本200カイリ内とロシア200カイリ内でのみとなりました。
操業区域図の提供:株式会社全鮭連
このような背景の下、操業条件等に関するロシア側との政府間協議が毎年、東京かモスクワで開催されています。主題は、日本の200カイリ水域内におけるロシア系サケマスの漁獲可能量で、両者ゆずらず、交渉は毎年、難航します。
また、ロシア側との民間協議では(1)ロシア200カイリ内(太平洋側)での日本漁船によるサケマス漁獲量と、(2)ロシア200カイリ内(日本海側)での日本漁船によるサケマス漁獲量が決められます。
ロシア側はサケマス資源の悪化を理由に、漁獲枠、操業隻数、ベニザケ枠など、について大幅な削減を提案してくるため、日本側はいつも粘り強い交渉を精力的に行わなければならなくなります。
ちなみに、平成16年(2004)は我が国漁船による日本200カイリ水域におけるロシア系サケマスの漁獲可能量は3660トン、漁業協力費上限は5.48億円。また、ロシア200海里内漁獲量は7210トン、入漁料は292円51銭/㎏で妥結。北洋サケマス漁業の操業は、ますますきびしい状態が続いています。
平成16年度(2004)サケマス操業区域図
ロシア200カイリ内団体別漁獲割当量と日本200カイリ内漁獲限度量が決められ、中型船と小型船によるサケマス流し網漁の操業区域。
2004年日ロ漁業関係資料 水産庁 2004年9月発行より
引用文献:「日本のサケ」市川健夫著 NHKブックス昭和52年8月発行
水産講座 漁業編 第8巻別刷「サケマス漁業」菅野進著
日魯漁業経営史(現マルハニチロホールディングス)第2巻」編者 横山 進 平成7年11月
2004年日ロ漁業関係資料 水産庁 2004年9月発行より
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