鮭と文化
写真はアイヌによる豊漁を願う「アシリ・チェプ・ノミ」
北海道には多くの遺跡群があります。2万年前の旧石器時代の遺跡、2千~7千年前の縄文時代の遺跡、7世紀頃~13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)の擦文(さつもん)時代の遺跡。この時代の後鎌倉時代後半からアイヌ文化は、前代の擦文文化を継承しつつオホーツク文化と融合し、本州の文化を摂取して生まれたと考えられています。
狩猟採集民であるアイヌの集落の多くは、川岸や河口に位置しています。彼らにとって、川は生活水であり、魚の提供者であり、そして船を使う彼らにとっての交通路(ハイウェイ)であったと考えられます。そして、それにもまして川は「サケが捕れる」ことが、より重要でした。 狩猟で捕るエゾシカやウサギや鳥は毎日の食糧としては安定しにくく、山菜や根や実、カエルやヘビや羽虫の幼虫などが常食でした(千歳市史)。そのような食事情の中で、秋になると毎年確実に上がってくるサケは、ほぼ半年間の生活を保証する糧となり、このサケへの依存度はたいへん大きかったと思われます。 それだけにアイヌ文化はサケと深くかかわりを持っています。アイヌの人たちにとって、サケはシベ(本当の食物)であり、カムイチェップ(神の魚)でありました。 近年、サケが上がる頃になるとテレビや新聞ではアイヌの人たちの豊漁を願う「新しいサケの祈願」である「アシリ・チェプ・ノミ」が紹介されますが、アイヌにはサケの関する行事や習慣がいろいろあります。 その教えや言い伝えは、巧(たく)まずしてサケの生態や古人の知恵を表していることが多いのです。たとえば、上り始めのサケは、水源を守るキツネの神様の分で、捕ってはならない。つぎのサケは他の神様の分で、それから人間の分と考えられていて、サケを分けあって暮らしていました。(アイヌの民話「キツネのチャランケ」参照) |
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