SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

第5回 アムール川流域の「サケの民」ナーナイ族とその世界観(1)

民族的な花嫁衣裳。民族の世界観を表す「世界樹」の模様が刺繍されている。背面には「世界樹」と除魔力を持つといわれる龍の鱗文が見られる。
トロイツコエ郷土博物館収蔵。

ナーナイ族は、アムール川(黒龍江)、ウスリー川、松花江流域で、漁労採集生活をしてきた民族です。現在、ロシア国内に1万人以上、中国領内に4245人(1990年)が居住しているといわれています。ナーナイ族の生業のなかでもっとも重要なのが漁労です。

家屋も漁労に便利な河辺に建てられています。この一帯は厳寒の地であり、11月になると川の水が凍り始め、5月まで半年の間川の氷は溶けません。ですから4月末から約1ヶ月間にかけて漁が行なわれ、次の漁労は9月ごろから10月末にかけて行なわれます。そして、冬。氷の厚さは1~2メートルにもなりますが、魚類の豊富な季節であり、氷を砕いて魚を捕獲します。
 
アムール川下流の船上から望む先住民族の村。
特筆すべきは、秋の漁労です。この時期に、黒龍江を遡上する大量のサケ(大馬哈魚)を捕獲します。毎年サケが遡ってくる前には、ナーナイ族のどの家もお祝いをします。しかし、ナーナイ族をはじめとするアムールランドとサハリンの先住諸民族は、サケ類を主要な食糧にしている北アメリカ北西海岸ネイティブや北海道アイヌ、本州東北地方の日本人に見られるようなサケ類に対する信仰や習俗は見られません。
<ナーナイ族の魚皮衣>
かつては、ナーナイ族では盛んに魚皮衣が着用されていました。魚の皮を利用して衣服や靴を作るのはナーナイ族以外にもニブヒや樺太アイヌでも盛んに用いられていましたが、とくにナーナイ族は漢族や満族から「魚皮韃子Yupidazi」と呼ばれていたほどでした。
魚皮衣はハレの日の特別な衣類であり、襟首や腰や裾回りに赤い色布を貼り付けて刺繍で飾っていました。 魚の皮をなめし、衣服や靴を作るのは女性の仕事であり、サケのほかにもコクチマス、ナマズ、コイ、チョウザメなどの皮が利用されました。このうち、チョウザメの魚皮は夏服専用ですが、サケなどほかの魚皮は、おもに冬服として着用されました。

さて、次にご紹介する内容は、手塚薫氏(北海学園大学人文学部教授)のご協力を得て、同氏の論文『アムール川流域におけるナーナイとウリチの象徴表現―世界樹と動物をめぐる信仰―』から抜粋させていただいたものです。これはナーナイ民族や近隣のウリチ民族の世界観を明らかにした興味深い内容となっています。
アムール川に船を出すナーナイの漁師。船外機つきの小船で出漁しては自分たちの食料にするための川魚を盛んに捕っていた。
『アムール川流域におけるナーナイとウリチの象徴表現―世界樹と動物をめぐる信仰―』  北海学園大学人文学部教授 手塚 薫 
ナーナイの民族衣装を着る少女たち。
ナーナイに伝わる民族舞踊。民族の世界観を表す刺繍がしてある衣装を着た2人の少女が2羽の鳥のように舞う。
はじめに

アムール地方と沿海地方には言語系統の異なる様々な民族が存在している。一つのグループはトゥングース・満州語族に属するウデゲ、ウリチ、オロチ、ナーナイ、ネギダールであり、いまひとつはパレオアジア語族に属するニブヒである。これらの諸民族に固有の文化には非常に古くから広がっていた土着の基層文化(狩猟採集民文化)の上にトゥングース系文化やチュルク・モンゴル(遊牧民文化)的特徴、中国・朝鮮、場合によっては日本(農耕民文化)からの影響も重なり、世界でもまれにみる文化複合を形成した。これらの複雑な文化の往来には東北アジアを貫流する大河アムール川とその支流が大いに関与した。
ところでこれらの諸民族は周辺民族からの外的な影響を受けるにとどまらず、とりわけアムール・サハリン地域の諸民族は互いに積極的な交流を繰り広げてきたために、精神、物質両面にかかわる多くの文化要素を共有してきた。とはいえ、すべての要素が類似しているのではなく、ナーナイ、ウリチが独自の世界観を発達させ、それを現在に至るまで伝えている部分もある。
ナーナイの民族的なデザインをあしらった手作りルームシューズ。
われわれが今回直接調査の対象とした民族はおもにナーナイ、ウリチ民族であり、その婚礼の衣類に見られるような「生命の木」は世界樹信仰を具象化するもので、まさしくウリチ・ナーナイに固有な民族の世界観の一端を明らかにしてくれる。
1 世界樹(宇宙樹)信仰と生命の木
シベリアの自然信仰とシャマニズムを奉じる民族の世界観の中心には、世界樹信仰がある。クックが指摘しているように樹木にかかわるすべての象徴的イメージは程度の差こそあれ、エリアーデによって「中心のシンボリズム」と分類される世界の本質的リアリティの把握の仕方に関連している。
全宇宙の中心にそびえ立つ垂直軸、または宇宙軸としての観念上の大木は、通常3つ(天、地、地下界)からなる宇宙領域の各界を結びつけて、シャマンの移動と連絡を可能にしている。すなわち世界樹または宇宙樹は三層に区分され、花、枝、梢などからなる木の上部、幹のある中部、根からなる下部がそれぞれ天上界、地上界、地下界にに区分される宇宙の三層構造に対応している。そして上部には日月や鳥が、中央付近にはシカやトナカイなどの有蹄類が、下部の根元には魚、カエル、トカゲ、ヘビが結びついている。ヘビは性、農穣と結びつき、根から幹を伝って上昇し、月の満ち欠けによって支配される水と共通性を持つ。また毎年花と実をつける樹木の生命力は再生の表象として信仰の対象とされてきた。
北方ゲルマンの神話におけるフリッカの永遠の生命を保ち続ける木、中国の伝承にみられる悪魔を退け、永遠の命をもたらすとされる実を結ぶ桃の木、日本の「古事記」にでてくるイザナキ、イザナミの国土創世に寄与した天の御柱の神話、旧約聖書に記されたエデンの園に生えていてヘビにそそのかされたイブがアダムとともに食べたリンゴの実をつける生命の木、これらはすべて世界樹の変形として理解することが可能であり、いずれもが命の根源の象徴となっている(中西 1994 12-14)。
ナーナイ民族の花嫁衣装に表現された世界樹。
エリアーデによれば、数多くの古代の世界観において、世界樹は創造、農穣、創始という概念と結びつき、最終的には絶対的な存在や不死と関係しているために、生命の樹、不死の樹ともなっている。そして世界樹はそこから派生した無数の神話上の類似表現やそれを補う表象(女性、水源、ミルク、果実)によってそのイメージが豊かにふくらみ、つねに生命の源泉、運命の主として描かれている(Eliade 1964:271)。
この世界樹を巡る観念は紀元前3000年か4000年頃のおそらくは青銅器時代にさかのぼり、初期の仏教やキリスト教にもその影響がみてとれる。トポローフは次のように述べている。
「世界樹(あるいは宇宙樹)は、旧大陸と新大陸との人間の共同体が抱いた世界なるもののモデルを、長期間にわたって規定してきた、あるいは普遍的な概念の、イメージである。と同時に、芸術の発達過程において仏教段階やキリスト教段階がはじまる以前は、世界樹が、主導的なテーマでもあった(若干の文化伝統では、唯一の主題でさえあった)。一連の場合には、今でも、宇宙樹が、個々の文化伝統(たとえば、シベリアの若干の民族の伝統)の中で、いぜんとして中心的な主題となっている。しかし、仏教芸術も、その最初の数世紀間は、また、キリスト教芸術も、ルネッサンス時代以前は、『宇宙樹』の時代との継承関係を、はっきりと示していた」(トポローフ 1983:51)

青銅器時代に成立し、かつて世界各地に見られた人類に普遍的な観念は、現在もシベリア地域において純粋で素朴な形で色濃く残っており、人類の本質的な思考や信仰の形態を直接追認できるかもしれない世界でもまれな地域の一つと考えてさしつかえないであろう。
さらにシベリア地方では世界樹の霊力を利用して、その幹につけられた九つの刻み目を通じて、シャマンは三世を自由に行き来し、この木から作った太鼓によって神や精霊と交わり、祭儀を行う。このときシャマンが身につける衣装にはトナカイの白いあごひげから作られた神聖な糸によって胸に肋骨の骸骨が刺繍されていた。その理由をクックは、シャマンが「身体をバラバラにされる」、「骸骨に還元される」という過程を経て、再生の骨から体を神秘的に再生させることで終わるプロセスに加わっているあかしであるとしている(クック 1982:128)。
食された後の動物の骨に細心の注意を払ってこれを保存するという習慣は旧大陸から新大陸にかけての広い地域に分布しており、これは動物が骨から再生されるという概念を表すものとされてきた(荻原 1989:113)。そうして「骨儀礼」は動物霊の再生を可能にする唯一かつ必須の手続きとして理解されてきた(渡邊 1993:29)。これらのことから「再生」は世界樹の重要な特性の一つとなっていることがわかる。(つづく)
ウリチ民族の花嫁衣装に表現された世界樹。
【手塚 薫(てづか かおる)氏のプロフィール】
北海道生まれ
北海学園大学人文学部教授 博士(文学)
研究テーマ:先史時代から現代までの特に先住民族を対象にした島嶼環境における資源・土地の利用
著書『アイヌの民族考古学』同成社2011年
ページTOPへ