北千島でも流し網漁業や定置網漁業が盛大になり、缶詰工場の乱立、ベニザケ資源の激減と製品のダンピングが憂慮されるようになり、業者たちは合同し、日魯漁業株式会社(現マルハニチロホールディングス)の名称のもとにまとまりはじめました。
母船式サケマス漁業は、昭和12~16年のころ、その最盛期を迎え、2万人以上の日本人漁業者が従事し、豊漁年には7000万尾から1億万尾をこえるサケを捕獲し、100万箱から150万箱にものぼるサケ缶詰を製造していました。全漁獲量の過半がベニザケでその缶詰製品が全生産額の7~8割を占めていました。
しかし、昭和6年からの日華事変は果てしなく長引き、ついには太平洋戦争に突入。大戦の激化により漁船や資材を必要とする母船式漁業は、その確保がむつかしくなり、また、缶詰などの製品輸出は皆無となり、昭和20年の敗戦前に、事実上、カムチャッカ、北千島における北洋サケマス漁業は衰退していったのです。 |