SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

開高健の釣文学 第1回「河は眠らない」

開高健記念会と写真家・青柳陽一さんのご好意とご協力により、ここサーモンミュージアムに開高さんの文学作品を掲載させていただけるはこびになりました。ありがとうございます。
「河は眠らない」は、開高さんの友人であり写真家・青柳陽一さんの企画でアラスカロケ(1984年)となった時の未発表ポジフィルムをもとに、青柳さんが開高さん没後20年の節目に出版されたものです。
開高健著「河は眠らない」青柳陽一写真

「河は眠らない」より抜粋

文芸春秋  二〇〇九年二月二十五日発行
私個人のことからいくと、三十代はずっとベトナム戦争、それからビアフラの戦争、中近東の紛争、いろんなのを追っかけまわっていたんだけれども、くたびれてしまった。
戦場を行くんだけれども、書く文句はアフリカ、中近東、東南アジアと様相は違うんだけれども、戦争の現場のことを書くとボキャブラリーが決まってしまう。同じボキャブラリーの言葉の繰り返しにすぎない。
で、もうすっかりいやになっちゃって、

勝手にしやがれって気になったんですね。

それで釣師になったわけです。
しかし、釣りの現場に立つという、現場主義という基本的なところでは変わっていないと思う。戦争が河に変わっただけのことじゃないか、戦場が水に変わっただけのことじゃないかっていう気もしますね。
自然の森やら河やらの中に入っていって、いろんなものが見えてくるのは、三十五歳以後ぐらいじゃないのかしら。
一応いろんなことやっちゃって、人生に限界がもうそろそろ見えてくる。
あとは死ぬのを待つばかり、同じことの繰り返しだというふうな印象におそわれてくる。
そういうときになって森に入っていくと、今まで見えなかったものがどんどん見えてくる。
そういう気がするな。
初めてキングサーモンをルアーで釣ったのがナクネク川ですからね。あれが一九六八年か。冷たい雨の中を河の中もぐりこんで、腰まで浸かって、岸にウィスキーの壜立てといて、三十分おきに岸に上がってきちゃあ一口ガブリと飲んで、また入り込んだけど全然あたたかくならない。酔いもしない。
一日やって夜の十一時ごろかなぁ、村の宿に帰ってきてキッチンを通り抜けようとすると、あたたかい空気に触れて一挙にそれまで飲んだ酒が頭にのぼってしまってね。まあ、そういうことでやっとの思いで、たった一匹、三〇ポンドくらいのを釣り上げたんだけど、あれは忘れられないなぁ。
だけど、あの河でもその後釣った魚を逃がしてやってるからね。今もう何十世代目がのぼってきているんでしょう、河に。
だから、あの河は私の中で生きている。
あのころは無我夢中で何もわからなかったから、見えなかったってことが多いんですけれど、今度はいろいろ見えてきましたね。その違いはあるでしょうな。
何かを手に入れたら何かを失う。

これが鉄則です。

何ものも失わないで何かを手に入れることはできない。
それに、失ったものに気がついていないだけ。
あるいは手に入れたものについて気がついていないだけ。
失ったものと手に入れたもののバランスシートは誰にもわからない。
すべては流転する。輪廻転生する。

形が変わるだけである。

エネルギーは不滅であり、減りもしない、

増えもしない。善でもない、悪でもない。

古代インドの哲学思想を考えたくなります。だから、あの輪廻の思想は徹底的な唯物論なんだ。それが徹底していたがためにポエティックな姿を帯びることになった。反対のもののようになった。こういうことが言えるんじゃないかっていう気がするんです。
この河岸に立ってサケの屍体やら小魚やらジャンプする親ザケの姿なんかを見ていると、ほんと、形が変わるだけなんだ。
そういう思想とも感性とも知性ともつかないものにおそわれます。
日頃われわれはぼんやりとそう感ずることが多いんですけれども、
ものの形が見えないから、それがなかなか自分の中に定着できないでいる。
しかし、この河岸に来ると、一切が見える。
少なくともサケについては見える。

忍耐、忍耐、忍耐、忍耐の芸術であります。

堪(こら)え性のない男には務まらない。

といって、合わせは一瞬。せっかちでないと務まらない。

この二つの要素がいっしょになった人が釣師になれる。

これを昔の西田哲学で絶対矛盾的自己同一という。むずかしいでしょ。

昔の日本人はむずかしい言葉を使ってた。

絶対矛盾的自己同一。

絶対に矛盾し合ったものが自分の中に入っている。

一人の中に入っている。

もう一つ言えば、釣師の中にはせっかちで色好みのやつが多いという。

これがなぜか、よくわからない。
生涯をかけた放浪と探索の時期が終わって、霧散していた自我が一点に集結して、そして彼は種族として甦るために死の歓喜を味わっている。
それは種族の回生と繁栄のためなんですけれども、死と生の交錯の瞬間の中に生きていると、どんな障害でも飛び越えていくからなぁ。
切実悲壮。
人間の目から見ると生涯でたった一回の結婚と死のためにね。
結婚の直後の死ですからね、サケにくるのは。
気味は悠々として急げtということやな。

悠々として急げと言ってるんだよ。
「河は眠らない」開高健著
青柳陽一(写真) 文藝春秋
2009年2月発行 本体1714円
作家開高健は1974(昭和49)年に茅ヶ崎市東海岸南のこの地に移り住み、亡くなるまでここを拠点に活動を展開されました。その業績や人となりにふれていただくことを目的に邸宅を開高健記念館として開設。書斎は往時のままに、展示コーナーでは、期間をさだめてテーマを設定し、原稿や愛用の品々を展示しています。これらを通じて、たぐい稀なその足跡を多くの方々にたどっていただけるなら幸いです。(開高健記念館パンフレットより)
 
・所在地 〒253-0054 茅ヶ崎市東海岸南6-6-64
TEL&FAX 0467-87-0567
・開館日 毎週、金、土、日曜日の3日間と祝祭日 年末年始(12月29日~1月3日)は休館させていただきます。また、展示替え等のため、臨時に休館することがあります。
・開館時間 4~10月 午前10時~午後6時(入館は午後5時半まで)
11~3月 午前10時~午後5時(入館は午後4時半まで)
・入館料 無料
・交通 JR茅ヶ崎駅南口より約2km
東海岸北5丁目バス停より約600m
(辻堂駅南口行き  辻02系  辻13系)
記念館に駐車場はありません
開高健(かいこう たけし)
1930年大阪市生まれ。大阪市立大学法学科卒業後、寿屋(現・サントリー)に宣伝部員として入社し、PR誌「洋酒天国」の創刊やすぐれた広告を制作する。57年「パニック」を「新日本文学」に発表し、注目を集める。58年「裸の王様」で第38回芥川賞受賞。64年に朝日新聞臨時海外特派員としてベトナム戦争を取材する。代表作に「日本三文オペラ」「輝ける闇」「夏の闇」「オーパ!」など。89年食道癌に肺炎を併発し、永眠(享年58歳)。
青柳陽一(あおやぎ よういち)
1938年福島県伊達市保原町生まれ。多摩美術大学付属芸術学園写真科在学中から写真家杵島隆氏に師事する。62年フリーとなり、同年、日本広告写真家協会の第1回奨励賞受賞。72年、麻田奈美の写真を雑誌「平凡パンチ」に掲載し、話題を呼ぶ。女性ポートレート、広告写真の分野で活躍するかたわら、趣味の釣りで開高健と意気投合し、親交を結ぶ。著書に「ドキュメント岩魚が呼んだ」「APPLE 麻田奈美写真集」「ハワイアンガールズ アグネス・ラム」「カメラマン」など。(社)日本広告写真家協会会員
キーナイ川の位置
キーナイ川のキングサーモンは、桁はずれに大きく100ポンド(50キロちかく)を超えるものがある。なぜ、こんなに大きなキングサーモンがくるのか、誰も知らない。