SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

第4回「もっと遠く!」

編集長が開高さんにいう。――――
「何かしばらくぶりに書いてよ」
「何って、何を?」たずねかえすと、「それがわからないんだなァ」という。「何かゴツイことやりなさいよ」「ゴツイって、何が?」「何しろゴツイことよ、誰もやらなかったような。面白くて、タメになって、ゴツイこと。何かないかしら。考えてよ」(中略)
ふと私は思いついて、アラスカをふりだしに北米大陸を釣竿を片手に縦断してみたらどうだろうといいだした。現代ではその気になりさえすれば北米大陸ならマイアミからアラスカの北極圏までキャンピング・カーで行くことができる。さらにその気を進めるなら南米大陸の最先端のフエゴ島からアラスカの北極圏まで行くこともできる。この二大陸は北極圏から南極圏にまで達するが、今では道路が貫通しているので自動車で縦断できる。しかし、残念ながら、もうそれは何人となくやっているし、日本人でもやった人がいる。どこかのテレビのドキュメンタリー番組でチラと見たことがある。しかしだね、しかしだヨ、釣でそれをやった奴が日本人でいるとはまだ聞いたことがない。(「もっと遠くへ!」序章より)
こんな開高さんと編集長の会話から、この壮大な釣紀行がスタートするのです。世に生まれては消えていく膨大な企画の死がいをるいるいと見てきた作家と編集者の世界。このものすごい企画に敬意を払い、時間をかけて「本」と云う形で出版された開高さんと関係者の情熱と執念に拍手をおくります。
開高健著「もっと遠くへ!」南北両アメリカ大陸縦断記・北米篇

「河は呼んでいる」より抜粋

朝日新聞社  昭和五十六年九月二十五日発行
このあたりで大いなる野外での生活の光栄と悲惨を語っておくのも一興であり、経験者の義務であるかとも思われる。二つのうち光栄の方はつぎに語るとして、光栄でないほうについて、まず、書くこととする。その筆頭は蚊と羽虫である。
アラスカと聞けばたいていの人はエスキモー、吹雪、凍土、氷山、シロクマ、サケ缶、最近では北極圏の海底油田、年配の人ならかつてのゴールド・ラッシュとチャップリンが溌剌(はつらつ)とからかったその映画*、こういったことを連想されることだろうと思う。アラスカに蚊がいるなどとはふつうの人ならまず思いつきようのないところであろう。しかし、アラスカには蚊がいるのである。われわれが川下りをしたブリストル湾地域のみならず北極圏にまで棲息しているのである。それもしたたかな密度においてである。

アマゾンの蚊はアノフェレスでマラリア持ちであるが、夕方六時に日が沈んでから七時までの一時間にかぎり猛攻また猛攻をかけてきた。しかし、アラスカの蚊は毒こそ持っていないが朝、昼、晩、場所も川岸、潅木林、湖畔、いっさいおかまいなしである。いつでも、どこでも、いつまでも、徹底的につきまとい、徹底的に刺しまくる。雲古を木のかげでしようと思うと、両手でのべつ左右のお尻をぴしゃぴしゃ叩いていないことにはたちまち凸凹になる。どう叩いたところで蚊の数は無数、こちらの手は二本、所詮かなわぬものと覚悟しておかなければならない。ためしに手のひらにつぶされたのをなめてみると、にがい味がする。
海外へのお供、タリスマン(お守り) (開高健記念館提供)
この蚊を防ぐために薬液を顔や手に塗る。釣師や兵隊のあいだでモスキート・ジュースとかジャングル・ジュースなどと呼ばれるやつで、かつてヴェトナムの最前線で寝起きしていた頃、さんざん御厄介になったものである。これにはローション、クリーム、スプレイと何種があるが、毎年、品質が向上していくようである。これを塗るとたしかに蚊は寄りつかない。その点は何といってもありがたい。これはアウトドアー・ライフの不可欠品である。このジュースは何かのはずみで眼に入ると焼けるように痛いし、なめると手荒くにがい味する。何度も何度も塗りかさね、毎日毎日それをつづけていると膚が荒れて、カサカサになったうえ、皺がより、人間の手というよりはイグアナみたいに見えてくる。しかし、それでも汗で薬が流れたあとはすかさず蚊が刺すから、やっぱりアラスカはかゆいのである。

そして、これに、ゴムのウェイダーからたちのぼる怪異な匂いがある。私はチェスト・ハイといって胸のあたりでピタッと止まるゴム製のを使っていたが、これは川の中でころんでも水が少ししか入らないかわり、胸から下がトルコ風呂に入ったみたいに蒸されてびしょびしょになり、まるで水に浸(つか)ったような濡れかたである。これを朝から晩まではいたままで、それを毎日毎日つづけてごらんなさい。三日め、四日めにはズボンから酸っぱいような、甘いような、たまらない異臭がたちのぼってくるのである。人体の汗のなかには、ふつう私が知っている“汗”の匂いのほかにじつにおびただしい要素が含まれているのだと、したたかにさとらされる。私のズボンは中古もいいところだけれど野外用に作られたものだから濡れてもすぐ乾いてくれる。しかし、脱臭まではやってくれないから、いいようのないじめじめネバネバした憂愁(ゆうしゅう)につきまとわれ、犯される。
氷雨がしとどに降って、テントを小さな、無数の太鼓のように打つ。それを聞きながら垢とヒゲにまみれ、ズボンの悪臭に顔をそむけ、茅ヶ崎市内で一番美しいといわれた額も蚊と羽虫で見る影もなく凸凹になったその跡を、一つ、二つとなでる。ロッジを出るときにひとつかみバッグのなかにほうりこんできた百人一首を、一枚、二枚、読むともなく読んでみる。
はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま

やへむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり
いつでも旅に出る準備ができていたトランク(開高健記念館提供)
(中略)
アラスカの海ではなくて川でのサケ釣りを私なりに評価してみると、これはもっぱらブリストル湾地域の川での経験だが、つぎのようになる。筆頭は何といっても偉大なキングで、これの大物との格闘はしばしば頭からのめりこむようなファイトになり、そのあとは心身を吸収されてへとへとになり、素晴らしいという呟きすら洩れるゆとりがない。アラスカの釣師が“フィッシュ”といったらそれはキングのことだといわれてるくらいである。この魚は数が少ないし、州の象徴として保護されているので、スポーツ・フィッシングで釣っていい匹数は厳重に制限されているから、いよいよ男たちの狂熱がかきたてられる。
この魚は闘争本能が一匹ずつ異なるという説があり、ヒットの瞬間瞬間にその場その場で神速に竿さばき、リールさばきをやらねばならず、この点、さらに男たちの尊敬と情熱が吸収されるのである。
マスノスケ、キング・サーモン
二番めがシルヴァーである。これはキングよりも小さいけれど満身に精悍なエネルギーがつめこまれていて、ジャンプまたジャンプ、最後の最後までたたかいぬき、岸に寄せて横返しになっても油断ができない。ジャンプして頭をふられるとたいてい鈎がぬけるので、糸はぜったいに張りつめておかなければならない。鈎をはずされないよう、ジャンプされないようにするには、ヒットした瞬間に竿をリールまで水につっこんで糸をなるべく斜め上からひっぱらないようにすれば効果があるといわれている。これはシルヴァーだけではなくて、ジャンプする魚なら何についてもいい方法である。しかし、私としては逃げられてもいいから魚のハイ・ジャンプを見たいという気持がある。シルヴァーは全身がつややかな白銀に輝やく美しい魚で、それが飛沫を蹴たてて川面を跳ねまわる光景には恍惚となる。この魚の場合には頭からのめりこまないで、諸相を鑑賞し味わいつつファイトができる。しかし、すべての魚とおなじくこの魚も気まぐれで、ある日は一匹ずつがあますところなく跳躍してくれたのに、つぎの日はまったくやらないで、イワナ類やチャム・サーモンのようにもっぱら水中だけでたたかうということがある。
ギンザケ、シルヴァー・サーモン
三番がレッドで、四番がチャムである。レッドの不思議さについてはつぎに書くが、チャムというサケは力持ちではあるけれどジャンプしてくれないのでものたりない。このサケは日本で“新巻”となって登場するサケで、私たちにとってこれくらいなつかしい魚はないのだが、アラスカでは“ドグ・サーモン”と呼ばれる。味がまずいので犬の餌にする魚だというところだが、スポーツの対象としても面白くないので軽視され、それがドグ呼ばわりの一因となっている向きがある。この魚のおいしさについては今されら私がここに書くことはないので、省略させて頂くが、ドグ呼ばわりは片腹痛いと、声をあげておきたい。ところでたいていの人が気づかないでいらっしゃることで一言しておきたいのは日本のサケ缶の表示で、レッテルにごく小さく“CS”、“PS”とある。前者はチャム・サーモン後者はピンク・サーモンの略である。どちらがおいしいかは好みの問題だから、ここでは議論を避けるが、今度からスーパーへ行ったらよく眼鏡を拭いてCかPかを判別なさるとよろしい。
シロサケ、チャム・サーモン
レッド・サーモンは川に入ってきたときは婚姻色で頭部が緑色、それ以下の体が暗赤色に染まる。この魚が大群で川をさかのぼっているところを空中写真でとると、川そのものが真紅に染められ、荒野のまっただなかに血が流れたようである。ビーヴァーの窓から見おろすと、あちこちからの川や湖でこの魚が集結しているところはまるで金魚の大群を見るようである。腹が厚く、肩がどっしりとして、なかなかいい体格の魚なのだが、空中から見おろすと、金魚にそっくりである。川では岸近く、湖では川の流れこみや流れだしのあたりに集結するが、ときには川も何もないただの湖岸にたくさん集結してるのを見ることもある。何十匹なのか何百匹なのか数えようもない団塊になっていることもあり、ときには三、四匹のこともある。
ベニザケ、レッド・サーモン
ちょっと以前に出版されたサケ釣りの本を読むと、この魚はルアーでは釣れないか、またはたまにしか釣れないとされている。十年前にはじめてアラスカへサケ釣りに来たときも土地の釣師によくその話を聞かされ、自慢話はもっぱらキングとシルヴァーであった。しかし、今度はスポーツ・フィッシングとしてレッドの釣りを教えられた。それはもっぱら川での釣りで、これにはコルクまたはプラスチックで作ったサケの卵を使う。まんなかに穴があいていて、そこに糸を通し、鈎をつける。そして糸の上に小さなゴム管をつける。このゴム管に細い鉛筆のような鉛の棒をちょっとさしこむ。そのままつっこむと入りにくいが、ちょっと舐めて唾をつけると、するりと入る。これは岩に噛まれても強くひっぱれば鉛だけがぬけてあとは回収できるので賢い考案である。レッドはフラフラと流れてくる赤い、小さな玉を卵だと思って、そっと口にくわえる。これは卵を食べるためではなく保護するためではないかという説がある。インディアンの古い言い伝えにもそういう説があるそうである。急な流れのところで魚が綿のように軽くくわえるのだから、当りはきわめて感知しにくい。そこで、当りのあるなしにかかわらず、ここぞと思うあたりで竿をしゃくる。こういうあわせかたを日本では“カラあわせ”と呼ぶが、アラスカでは“インテンショナル・スナギング”、つまり、意図的なひっかけという。地区によっては川を監視員が歩きまわって釣師を観察し、あまりたびたびやってはいかんよと警告するところがある。この釣法はレッドだけではなくて、海から上がってきたニジマス、つまりスチールヘッドを釣るときにもおこなわれれる。(後略)
注「その映画*」・・・チャップリンの黄金狂時代:アラスカの金鉱が発見され一攫千金を夢見る人々が押し寄せていた頃、ひとりぼっちの探鉱家チャーリーは、猛吹雪に襲われ、一件の山小屋に転がり込んだ。だが、そこにいたのは、指名手配中の凶悪犯ブラック・ラーソンだった。ゴールド・ラッシュに湧くアラスカを舞台に、人間たちの剥き出しの欲望を、絶妙なギャグと卓越したストーリーで描く。
開高健著「もっと遠く!」
作家開高健は1974(昭和49)年に茅ヶ崎市東海岸南のこの地に移り住み、亡くなるまでここを拠点に活動を展開されました。その業績や人となりにふれていただくことを目的に邸宅を開高健記念館として開設。書斎は往時のままに、展示コーナーでは、期間をさだめてテーマを設定し、原稿や愛用の品々を展示しています。これらを通じて、たぐい稀なその足跡を多くの方々にたどっていただけるなら幸いです。(開高健記念館パンフレットより)
 
・所在地 〒253-0054 茅ヶ崎市東海岸南6-6-64
TEL&FAX 0467-87-0567
・開館日 毎週、金、土、日曜日の3日間と祝祭日 年末年始(12月29日~1月3日)は休館させていただきます。また、展示替え等のため、臨時に休館することがあります。
・開館時間 4~10月 午前10時~午後6時(入館は午後5時半まで)
11~3月 午前10時~午後5時(入館は午後4時半まで)
・入館料 無料
・交通 JR茅ヶ崎駅南口より約2km
東海岸北5丁目バス停より約600m
(辻堂駅南口行き  辻02系  辻13系)
記念館に駐車場はありません
開高健(かいこう たけし)
1930年大阪市生まれ。大阪市立大学法学科卒業後、寿屋(現・サントリー)に宣伝部員として入社し、PR誌「洋酒天国」の創刊やすぐれた広告を制作する。57年「パニック」を「新日本文学」に発表し、注目を集める。58年「裸の王様」で第38回芥川賞受賞。64年に朝日新聞臨時海外特派員としてベトナム戦争を取材する。代表作に「日本三文オペラ」「輝ける闇」「夏の闇」「オーパ!」など。89年食道癌に肺炎を併発し、永眠(享年58歳)。
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