食料として好んだのは鹿肉のほうであった。ユーカラなどの語り物の中にも、少年がはじめて狩りに出て鹿を射止めるくだりがよく出てくるが、この場面はふんだんに慣用句を使い、事細かく描かれる。狩りに成功して帰ってきた少年に対する驚嘆の声や、調理のしかた、料理に舌づつみを打つ様子などもほほえましく語られている。
鹿は群れて行動することが多い。それを利用して鹿笛でおびき寄せたり、崖の上に追い上げてそこから一気に落としたりする猟法もあって、それら鹿猟にちなんだ地名も明治の末期までは地図の上でも北海道各地にみられた。アイヌ語で鹿はユクだが、同時にこの語はけものの意味にもなる。
アイヌが狩猟民族には違いないが、生活の中心は漁労であった、とする説も多い。鮭のことをアイヌ語でシペ(シ・イペ)というのもその理由のひとつ。「本当の食べもの」という意味だからである。ほかにも、サキペ(サクイペ)(夏の食べもの=ます)、タンネイペ(長い食べもの=うなぎ)など、魚の名前が即、食べものを意味する例は多い。
アイヌのコタン(集落)は、交通路ともなる河川に沿ってつくられることが多いが、とくに鮭の遡上する川筋が喜ばれた。鮭にゆかりのある地名は、鹿に関する地名よりも多く、鮭やますの産卵する場所や、梁(やな)を仕掛けやすいような瀬にいたるまで、こまごまとつけられていた。 |
|
アイヌは鮭のすべての部位を使いこなす。頭も干して、だしに利用する。
マレクという鉤銛(かぎもり)による鮭猟。鮭は魚のなかでも最も神聖とされ、頭や皮までも余すところなくありがたくいただく。 |