SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

第3回:文化人類学者ボアズらが1900年に調査した「サケの民」ナムギースの人びと(1)

ナムギースの人びとはバンクバー島の北部を流れるニムキッシュ川(Nimpkish River)の流域に住んでいた人々で、1870年代にサケ加工場が集中しているCormorant(コモラント)島のAlert Bay(アラート・ベイ)の村に多く移住しました。ナムギースの人びとの正式名称は「Namgis First Nation」です。ナムギースの人びとはワカシャン語族に属するクワキウトル族です。このクワキウトル族は贅沢に装飾されたお面やトーテムポールに彼らの壮大な神話を表現することで知られています。ワタリガラスやシャチなど鳥や魚類の絵が多く、黒太の線で描かれているのが特徴です。彼らの文化は、現在もアラート・ベイ周辺のコミュニティにおいて脈々と受け継がれています。

ここにご紹介する内容は、岩崎・グッドマン・まさみ氏(北海学園大学人文学部教授)のご協力を得て、同氏の論文『「サケの民」カナダ北西海岸先住民族――サケの保存・調理・分配』から抜粋させていただいたものです。
1、はじめに
カナダ北西海岸先住民族にとってサケ漁が食料供給の手段であると同時に、「サケの民」としてのエスニック・アイデンティティの基盤であることは多くの研究者によって語られている。(中略)かつては、「サケの民」として栄華を誇ったこれらの人びとが日常にふんだんにサケを食べていた1900年頃の状況を当時の資料を基に検証する。1900年前後に人類学者フランツ・ボアズ(Franz Boas)とボアズの共同研究者ジョージ・ハント(George Hunt)がナムギースの人たちを対象とした調査を行い、当時の様子を記録した資料を数多く残している。これらの文献には当時の人びとの生活全般がいきいきと描かれているが、その中でも本章では1921年に出版された「クワキウトルの民族誌」(Ethnology of Kwakiutl)を取り上げ、特にサケの保存・調理・分配に関する記述に注目し、ナムギースの人びとにとってサケを調理し、食べるという好意が空腹を満たし、必要な栄養分を摂取するだけに留まらず、社会・文化的側面に広く関わっていた状況を検証する。その資料の分析作業を通して、現代社会に生きる北西海岸先住民族にとってサケ漁を基盤とした文化伝統、およびその保持がいかなる意味を持つかを考えてみたい。
 
2、「クワキウトルの民族誌」について
●フランツ・ボアズとジョージ・ハントによる調査
カナダ北西沿岸先住民族(ネイティブ)の分布図
世界の民族集団の中で、北西海岸先住民族は多くの文化人類学者の研究対象となった集団の一つと言える。それは北米人類学の歴史の始まりから、フランツ・ボアズを中心とした人類学者がこの地域において精力的に調査を行い膨大な資料と論文をまとめてきたこと、またその後に続く多くの人類学者がボアズらの基礎調査をもとに、さらに調査を行っていることなどによる。これらの一連の人類学調査の中でも、ボアズらによる初期の調査によってまとめられた資料は、本章の主題とするカナダ北西海岸先住民族のサケ漁を歴史的な観点から捉えるうえで重要である。


「アメリカ人類学の父」と呼ばれるフランツ・ボアズ
ナムギースの人びとが住む地域は「アメリカ人類学の父」と呼ばれるフランツ・ボアズが 先住民族の血を継ぐジョージ・ハントの協力のもとに調査を行ったフィールドであり、その研究成果は膨大な文献資料として残っている。本章ではその中でも1921年に出版された「アメリカ民族学局年報第35、クワキウトル民族誌」(全2巻)を中心に、1890年から1900年当時のナムギースの人びとの生活、特にサケ漁に関する記録を検証し、この地域の人びとが「サケの民」と自らを呼ぶ歴史的背景を明らかにしたい。(略)
●「クワキウトルの民族誌」の概要
フランツ・ボアズとジョージ・ハントの調査「アメリカ民族学局年報第35、クワキウトル民族誌」(全2巻)
「クワキウトルの民族誌」はボアズとハントが残した他の多くの資料と同様に、一貫して英語と民族の言語であるクワクワラ語の両方で表記されている。
それぞれのページの上下に二つの言語テキストを対訳の形式で提示していることから、民族誌として貴重であると同時にクワクワラ語を研究するための有効な言語資料として貴重であると同時にクワクワラ語を研究するための有効な言語資料としての価値も高い。


バンクバー島に近いCormorant(コモラント)島のAlert Bay(アラート・ベイ)
二巻から成る「クワキウトルの民族誌」の第一巻は約750ページにおよび、合計六つの章に分かれている。(略)
第三章では33種類の食物保存方法が記録され、その半数がサケの保存方法である。さらに第四章には多様な食物の調理方法が記録されているが、その数は155種類に及ぶ。この中には保存方法と重複するものもあり、この時代には食物を保存することは調理することと類似した意味を持っていたことが分かる。第五章は信仰と習慣と題しているが、その中には38の項目があり、いずれも食物採集やそれを食べるという行為が信仰と深く結びついていることが現れている。

「クワキウトルの民族誌」の第二巻の8章では18の家系にまつわる神話、さらに9章では28におよぶ歌が紹介されている。重要な食料資源であったサケはこの時代の人びとの精神世界や信仰に深く根付いていたことから、サケに関わる神話は多い。
その中には有名なサケ神話として、サケは双子の姉妹によってもたらされたという経緯を語るものがあり、さらにこの神話ではサケに感謝し、敬意を持って扱うことが重要であるという教訓が語られている。
実際の生活の中でも双子を産んだ母親に対して、出産の四日目に行われる特別な儀礼があるなど、1900年当時のナムギースの人びとにとってサケ資源が社会生活の核であり、これらの人びとはまさに「サケの民」であったと言える。(略)
●サケの利用・保存方法


このトーテムポールは、一番上にそびえ立つのは、鋭い爪にSalmon(サケ)を抱えたEagle(ワシ)、その下は海の巨大なハンターKiller whale(シャチ)、一番下はSalmon(サケ)を抱えたBear(ベアー)です。トーテムポールに彫られた像は、その一族(トーテムポールの所有者)の自然界のシンボルであり、全体は祖先に関する伝承や事件、戦い、めでたい事などを動物や人の形に象徴的に刻み込んだ歴史といえます。
「クワキウトルの民俗誌」の中でも本章の主題であるサケ漁およびサケ利用に関する記述は各所に見られ、そのすべてに触れることは不可能であるものの、ここではサケの利用方法や保存方法に関する記述の要点をまとめる。
第1章にはさまざまな民具の作り方の説明の中に、シロザケの卵を使ったペンキの作り方が紹介されている。
それはハンノキ(alder-tree)を材料とした皿の作り方の中で、ハンノキをナイフで成形して皿の形が完成した後にシロザケの卵を口の中で噛み、ペンキ皿に吐き出し、それに炭を練りこみ、真っ黒くなるまで練りペンキを作る。
このペンキをペンキブラシで皿の端に塗り、皿を完成させるという方法が記録されている。
現在、ナムギースの人びとが住む地域の小学校で「サケのペンキ」として、この手法を学ぶ授業を行っていることからも、サケ文化の保持のための努力に欠かせない伝統技術であることがわかる。
第三章ではサケをはじめとする魚類やベリー類などのさまざまな食材の保存方法が書かれている。その最初は多種なサケの保存方法であり、ハントは第一にシロザケを切るという保存加工の最初の過程を説明している。
次に産卵の終わったサケをローストする過程の説明では、多くの人びとが夜間に川辺に集まり、産卵直後のサケを捕獲する様子を描き、またシロザケは脂が少ないので、火を完全に通さずに干しても味が悪くならないし、カビが生えることなどもないと記述している。
サケの保存に関しては、中心の身を焼く方法や、二本の骨を杉の樹皮で結んで乾燥させ、乾燥してから尾を背に分けてバスケットに保存するなどの詳細を説明している。
またシロザケを縦に切って乾燥保存する方法、骨をローストして保存する方法。またシロザケの胸鰭(むなひっれ)やほほ肉、頭などの特定の部位を保存する方法、またまたそれらをローストする手順などが記録されている。
ボアズとハントはシロザケの保存方法の説明の中で、シロザケを「グリーン・サーモン」(green salmon)と英訳している。
これは成熟したシロザケを指しているものであり、クワクワラ語を話す前述のグロリア・ウェブスターによると、「グリーン・サーモン」という英訳はクワクワラ語でシロザケを表す言葉を英語に直訳した表現であり、シロザケが成熟するとその表面が緑色に変わることから、このような表現がクワクワラ語に定着したとのことである。
「グリーン・サーモン」という表現はサケの調理方法の章では、頻繁に使われることから、サケを乾燥させて保存させることが一番有効な保存方法であった時代に、脂分が少なく乾燥保存に適した「成熟したシロザケ」が食料として多く利用されていたことがわかる。
シロザケの卵の保存方法については、箱に入れて家の隅に置き、後にあざらしの膀胱に詰め込み、火に近い所に下げて保存する。
サケの乾燥工程には乾燥の度合いによりさまざまな方法がある。たとえば、四分の一乾燥させる加工方法や燻製にする方法などがあるが、ハントはそのいずれの方法を用いてもサケの乾燥保存には経験的な知識を要することを強調している。ハントは次にベニザケの乾燥方法に触れ、第一に産卵後のベニザケの加工方法、特に産卵を終えたあとに上流で捕獲されたサケについて、切り開いて天日で乾燥する方法や、産卵後のベニザケの場合は二つに縦に切り、乾燥させる方法を説明している。またギンザケについては、身と骨など各部位のローストの仕方を説明している。(略)
サケの調理方法と分配
今日、Cormorant(コモラント)島のAlert Bay(アラート・ベイ)の村では世界有数のトーテムポールをみることができます。
たいていは、トーテムポールの一番上の彫刻が、その一族を見分ける象徴であり、氏族の由来であり、紋章です。サンダーバードとイーグルを刻み込んだクワキウトル族のトーテムポールは、その翼を広げているのが特徴です。サンダーバードは神話上、すべての精霊の中でもっとも力のある動物とされています。
ボアズとハントは『クワキウトルの民族誌』の四章を「レシピ」と題し、155種類に及ぶ多様な調理方法を紹介している。その大半がサケ、オヒョウ、タラ類、ニシンなどの魚や貝類や海藻類を使った料理であり、それらに加えて多種のベリー類の料理が紹介されている。その中でも最も種類の多いのがサケを材料にしたレシピであり、その数は33種類あり、1900年頃にはサケが食料としていかに重要であったかが読み取れる。ハントはレシピとして調理方法だけではなく、「それを食べる季節やサケを食べるのに適した一日の時間帯に関する情報」、「その料理を一緒に食べる人に関する情報」、「調理に関わる夫と妻の役割分担に関する情報」について詳しく説明している。つまりその食材を誰がどのように調理し、その料理をいつ誰がどのように食べるかという類の情報が豊富に含まれていることから、この時代の人びとにとって、サケを中心とした食生活は家族や地域社会との関わりの中に深く組み込まれて成立していたこと、またそれらの詳細な情報を伝えることが社会的関係を安定して維持する上で重要であったと言える。
調理方法の記述にはサケの種別や「グリーン・サーモン(成熟したシロザケ)」などに特定した調理方法をあげているものもあるが、ハントが説明をしている調理方法を総合すると、サケの脂分の程度により「焼く」、「ボイルする」、「乾燥保存し後に調理する」という三つの調理方法が用いられ、また乾燥保存したサケを調理する方法としては、「焼く」、「ボイルする」などの調理方法が用いられる。冬期まで長期保存したサケについては、「水に浸す」などの方法でサケを柔らかくして、さらに「焼く」、「ボイルする」ことにより食べたことが記録されている。これらの保存・調理方法の組み合わせにより、ナムギースの人びとはサケが捕獲できない冬期を含めた通年にわたり、サケを食べることができた様子が描かれている。
引用・参考文献
『「サケの民」カナダ北西海岸先住民族――サケの保存・調理・分配』岩崎・グッドマン・まさみ著(北海学園大学人文学部教授)基盤研究(A)「先住民による海洋資源の流通と管理」(研究代表者 岸上伸啓編集 課題番号15251012)研究成果報告書 2007年発行
「北西海岸インディアンの美術と文化」D・キュー P・E・ゴッダード菊池徹夫・益子待也訳六興出版 1990年7月発行
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