SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

第6回:アムール川流域の「サケの民」ナーナイ族とその世界観(2)

花嫁衣装の背面上部、または背面一面が鱗状の模様で覆われることがある。ナーナイ族とウリチ族の女性と子どもは成人男性に比べ、悪霊にとりつかれやすく、そのような悪霊は人々の気づきにくい背後から接近する事が多いと説明する。そして鱗文には魔除けの力が宿ると信じている。

日々の生活においてサケが重要な位置を占める世界中の「サケの民」たち。今回はアムール川流域のナーナイ族族の信仰や世界観を前回に続いて、手塚薫氏(北海道学園大学人文学部教授)の論文『アムール川流域におけるナーナイ族とウリチ族の象徴表現―世界樹と動物をめぐる信仰―』から抜粋し、ご紹介させていただきます。

(なお、本文中には部族名などオリジナルと一部表記を変えて掲載させていただいている箇所があります)
 
『アムール川流域におけるナーナイとウリチの象徴表現―世界樹と動物をめぐる信仰―』北海道学園大学人文学部教授 手塚薫
民族的な花嫁衣裳
2 アムール地方の世界樹信仰
さて、アムール川中流から下流にかけて居住するトゥングース・満州諸語を話す集団に含まれるナーナイ族、ウリチ族には共通する樹木信仰がある。ナーナイ族の間ではオミャ(魂)・モニ(木)と呼ばれ、ウリチ族の間ではポドホ(生命)・モ(木)と呼ばれる木は氏族の繁栄を願い、彼らの世界観を示しており、それは女性の婚礼の衣装の背面に描かれていることが多い。これはナーナイ族のなかに広く浸透していた次のような観念と密接な関わりを有している。

「人の魂は鳥の姿を持っており、その鳥は人の死後まもなくその肉体を見捨てて、魂の世界に飛び立った。その地に育っていた氏族の木がその鳥の居住地となり、その後鳥は地上に降りて、女性の懐に入り、赤子の姿でよみがえる」(Иванов 1976:164-165)。
「出生してからまる1年の間、その子どもの魂はオミャ(魂)・ガサ(鳥)という名の小さな鳥であると考えられていた。その鳥は女性の体に入るまでオミャ・モニの枝で生活した」(Levin,Potapov 1964:712)。

ナーナイ族の死生観によれば、人は死ぬと来世の世界ブニへいくという。死者の霊魂がブニへ赴くのは非常に困難なことで、強力なシャーマンの助けが必要とされていた。死者の霊魂を来世の国ブニに送り届けるという重要な儀礼の際に、ナーナイ族のシャーマンはイヌ・トナカイ・コーリと呼ばれる鳥を利用した。コーリ鳥はブニへシャーマンが旅する間ずっとつきしたがい、この鳥の助けがなければ、シャーマンがブニから戻ってくることはできないと考えられている観念上の鳥である(ハルヴァ 1971:308-309)。

ハルヴァは死者がブニへ旅立つ儀式の場面を次のように描写している。
「この重要な行事を始めるにあたって、シャーマンは歌い踊り、それから顔に炭で条を描き―すなわちアルタイ人と同じような防禦手段を用いる―そうして激しく太鼓を打ち鳴らしながら、諸霊に力添えを呼びかけ始める。諸霊が自分のところに来て坐ってくれるようにと願って、シャーマンはまるでそれらを呑み込んでしまいそうに、ただちに大きな口を開ける。それから頭を振り、跳ねまわり、諸霊(セオン)が現れる動物や鳥の身振りや鳴き声をまねる。これらの動物や鳥に、死者の国(ブニ)への道を教えてくれるよう頼んでから、特にそのためにたてられた段をつけた樹に近づいて、その一番上の段まで登ると、あたりをうかがう。小手をかざしながら、死者の国へ通ずる道を確かめる。
その時シャーマンは、他にみんなから尋ねられている秘密のものも見ることができる。いつアムールは凍結するのか、この冬、雪は多いのか少いのか、猟がうまくいくかどうかなども、シャーマンに尋ねることができる。世界樹を意味しているとも言える、この段をつけた樹は、シャーマンにとって一種の予見の塔である」(ハルヴァ 1971:307)。

このように鳥と世界樹との関係は深いものであった。この種の信仰形態は既に12世紀頃の女真期にまでさかのぼることが指摘されている(Шавкунов 1989:117)。もしこれが事実だとすれば、ツングース系とされる女真からナーナイ族・ウリチ族へのスムーズな信仰形態の流れの図式を描くことができる。
ところで、ブニとは現世の写しのようなものであるが、もっと豊かな世界であると考えられている。そこで死者は生前の生活と同じような生活を送る。しかし現世とブニとの大きな相違は夏が冬で冬が夏であるという具合にすべてが逆の世界である。ブニでの一生が終わると、再び別のブニへ下降し、その後に地上によみがえる。このようなつきることのない生と死と再生の循環の構図は人生の時間的な経過を過去(地下界)、現在(地上界)、未来(天上界)、の縮図として表現する世界樹にも集約されている。
民族的な花嫁衣裳。ナーナイ族、ウリチ族には共通する樹木信仰がある。ナーナイ族の間ではオミャ(魂)・モニ(木)と呼ばれ、ウリチ族の間ではポドホ(生命)・モ(木)と呼ばれる木は氏族の繁栄を願い、彼らの世界観を示しており、それは女性の婚礼の衣装の背面に描かれていることが多い。
しかし現在の人々から民族調査の結果として、この信仰の概要を聞き出すことは困難になっている。婚礼の際に伝統的な衣装に身を包む人々はすでにいないからである。
花嫁衣装に刺繍された世界樹やその周囲に配された様式化された動物の意味や役割についての知識はナーナイ族やウリチ族の人々の間ではすでに忘れ去られているかのようである。そのような状況のもとで1992年に開拓記念館によって実施された民族調査のなかで、ウリチ族の年配の女性から花嫁衣装についての話を収録できたのは興味深かった。
それによるとポドホ・モ(生命の木)の上部に必ず表現されなければならない花びらはオモとよばれ、これから生まれてくる子どもだけでなく、形状の類似から耳飾りをも同時に表しているという。ポドホ・モ(生命の木)の周囲に刺繍されるサカナ、シカ、ミンク、キツネ、クロテンは結婚相手の男性、つまり将来の夫の豊猟(漁)を祈願して心を込めて丹念に縫いつけたものであった(手塚 1993:22)。
(写真1)ナーナイ族の花嫁衣裳
花嫁衣装の裏面下方に刺繍される世界樹は左右一対の構造を示しているが、それぞれの世界樹の幹は中央に位置し、その下部には通常4~5個からなる円形の根が表現され、場合によってはその中に動物モチーフが含まれていることがある(写真1、2)。
この円形の根は水を汲み上げることから水面もしくは水界への入り口を連想させ、ヘビ、カエル、サカナ、カメなどの動物と結びついている。また、まれに円形の根の内部にイヌ、シカなどの動物が表現されることもあるが、これも死者の霊魂の先導役としての役割が表現されているように思う。
(写真2)花嫁衣裳に刺繍された世界樹
ナーナイ族の花嫁衣装の端切れ。ナーナイ族は「天に龍が表れると、悪霊はどこかに立ち去る」と信じている。この鱗は龍の鱗であり、悪霊を退治するのに一役かってくれると、考えられている。
花嫁衣装の背面上部、または背面一面が鱗状の模様で覆われることがある。また、子ども服の背面にも同様な文様がみられる(北海道開拓記念館 1994:61 III-4-17参照)。なぜ表面でなく背面であるのか?ナーナイ族とウリチ族は女性と子どもは成人男性に比べ、悪霊にとりつかれやすく、そのような悪霊は人々の気づきにくい背後から接近する事が多いと説明する。そして鱗文には魔除けの力が宿ると信じている。ナーナイ族は「天に龍が表れると、悪霊はどこかに立ち去る」と述べたというが、イヴァノフはこの鱗は龍の鱗であると考えた。龍は人間に対し好意を寄せており、悪霊を退治するのに一役買ってくれるからであるという(Иванов 1954:232-233;荻原 1992a:147)

一方でナーナイ族やウリチ族の花嫁衣装には龍、または龍の頭が刺繍される事が多い。そして雷や稲妻を体現する龍があしらわれた三丹服そのものが珍重されたり、その生地の端切れを花嫁衣装やその他の様々な衣類の一部としてつなぎ合わせて利用することがある(佐々木 1989:723-724)のは、ナーナイ族やウリチ族の間に龍や雷鳴はいずれもあらゆる悪の根源を断ち切るという観念があることを物語っている。悪魔を退散させるというウデゲのシャーマンの太鼓の音色はやはり雷鳴と同一視されている(荻原 1992a:147)。シャーマンの太鼓をたたく音は補助霊を引き寄せ、敵意を持つ霊を遠ざけるので、再生のためにもその音色は用いられる(ロット=ファルク 1980:202)。
花嫁衣装の内部に着用する衣服にもやはり「龍」、「蝶」、「蝙蝠(コウモリ)」などの動物モチーフが描かれていた。蝶と蝙蝠は音の上で長寿や福を表す言葉に通じているなど、中国では吉兆を表す言葉と音の上で対応する動物の図柄を好んで用いる習慣があり、それがナーナイ族のもとに伝わったのではないかとする見解がある(佐々木 1991:67)。
家に代々大切に伝えられている女性用の龍文服
3 シャマニズムと動物模様
ニブヒ族をのぞくアムール地方とサハリンのほぼすべての民族の間にはハダウまたはハダイ、ハドー、ホダイとよばれる説話の主人公が創造神や文化英雄として活躍する伝承がある。このうちナーナイ族ではホダイが最初のシャーマンとなり、死や葬式の起源と深くかかわっている説話がある。
「(太陽征伐の)後、人間には住みやすくなり、彼らはさらに一層栄えた。ついに、人間はあまりにも多くなりすぎて、住むには窮屈になった。『じいさん、あなたは、どうしてあの世への扉を開かないのですか』と妹のミャメンジは言った。老人のホダイは、あの世への扉を捜しに出かけた。彼は、長いこと歩いた挙句にそれを見つけて、開いた。
人間は死ぬようになった。そして、地上には多くの亡骸が増えた。が、だれも葬式をすることができなかった。なぜなら、シャーマンがまだいなかったからである。夜に、老いたホダイは誰か恐ろしいセオン(精霊)が現れて、こう告げる夢を見た。『わたしは、おまえをシャーマンにしてやろう。おまえが人間を葬って、ブニ(他界)へ導いて行けるように。森へ行って、トーリ(鏡)とコンゴクタ(鈴)と角が生えたシャーマンの木を見つけなさい。そうすれば、おまえはシャーマンになる』」(荻原 1992b:41より引用)。
ここでいうシャーマンの木というのは幹がカエルやヘビで、葉はトーリ、花は鈴からなる観念上の巨木である。一方、トーリはシャーマンが首から吊り下げて、人間のあらゆることを映し出すばかりか、シャーマン自身を悪霊から守る盾でもある(ハルヴァ  1971:464-465;萩原 1992:148-149)。
(写真3)ナーナイ族の胸あての金属飾り
鏡や鈴は婚礼の衣装の一部となっている胸あて(飾りつき前掛)(北海道開拓記念館第 1994:47 III-4-12参照)に付随する円形の金属飾り(写真3)とともに中国や満州に由来する。古い婚礼の衣装に中国の織物生地が使用されていることが多いのも中国・満州伝来の物品のナーナイ族・ウリチ族社会における重要性を示唆してくれる。
アムール・サハリン地域のシャーマニズムの中で龍やヘビが地下界(水界)の領域を支配し、シャーマンの助手をつとめたりするなどの重要な役割を与えられている(写真4)。またシャーマンの衣装や持ち物には龍、ヘビが図案化されているものが少なくない。ナーナイ族の女性シャーマン、ミィンゴー・チューサンボワナ・ゲイゲル氏は自分の目が悪かったときに、龍の姿を家の壁に見たので、龍の首飾り(写真5)を作らせて、治療に臨んだという(1994年の開拓記念館の民族調査の際収録した話)。
(写真4)衣類に表現された様々な動物
(写真5)シャーマンの首飾り(左からイヌ、ヒト、龍)
龍は中国が起源の動物であるが、そのままの形でアムール流域のシャーマニズムの世界に導入されたのではなく、彼ら独自の世界樹に代表されるようなコスモロジーの中で消化され、独特の意味が付与されている。ウリチ族の村落では龍が現在でもアムール川の主として民話の中で生き生きと語り継がれている。
ナーナイ族のシャーマンの役割は病人をいやすこと、未来を予見すること、死者の魂をブニに運ぶことの3つに大別される。このうちもっとも強力なシャーマンにしかできないのが死者をブニに運ぶ儀礼活動である(Levin,Potapov 1964:714)。これは再生の儀礼とシャーマンとの深い関係を物語る。
鳥や龍をデザインモチーフにした民族的な衣装。人の魂は鳥の姿を持っており、その鳥は人の死後まもなくその肉体を見捨てて、魂の世界に飛び立つと、考えられている。
1992年の民族調査の際、筆者はウリチ族の女性から1933年にベルフナヤ・ガバニで実施された熊送り儀礼の話を聴くことができた。この際5~6人の村人が龍を刺繍した衣服おそらくは山丹服を着ていたという(手塚 1993:22)。
アムール川下流のツングース語族では山または森の主が人々のもとにクマを送ってくれると考えるのに対し、ニブヒ族の間ではクマはニブヒ族が利用する陸上動物のすべてをもたらしてくれる山または森の主を象徴している。前者の間ではクマ儀礼は狩猟儀礼であるが、後者やアイヌの間ではクマ儀礼はそれによって先祖と子孫の連帯が深められ、親族の連携が男子を通じて強化させれる氏族やリネージの祭礼であった(Black 1988:30)。
ニブヒ族の場合、シャーマンは人間の世界と霊の世界との仲介者として、病気の治療と悪霊との闘争といった仕事はある(クレイノヴィチ 1993:354)が、シャーマンがクマ送り儀礼に参加することは禁じられていた(Levin,Potapov 1964:780;加藤 1986:328)。
ウリチ族が龍を刺繍した衣服に身を包んでクマ送り儀礼に参加した意義はウリチ族の世界観とシャーマニズムの一致した延長線上にある「再生の狩猟儀礼」という点につきるのではないだろうか。それはニブヒ族の場合、集団の連帯を深めるという意味での晴れの場での着用という点で、どちらかといえば個人的な傾向が強い狩猟儀礼を有するアムール地方のツングース語系の民族の場合とは根本的に異なる内容を示しているように思われる。ニブヒ族やアイヌにおいても女性が祭礼の晴れ着をつけてクマ送り儀礼に参加することは報告されているが、龍の文様のある衣服をクマ送り儀礼に代表される儀礼活動において着用したという例をわたしは寡聞にして知らない。(後略)
おわりに
民族的な花嫁衣裳。民族の世界観を表す「世界樹」や除魔力を持つといわれる龍をデザイン化した模様と考えられる。
1992年と1994年に実施したアムール川中・下流域の調査の結果、中国・満州からの人や物資の流れがアムール川流域の各民族に与えていた影響は大きいことを確認することができた。とりわけナーナイ族、ウリチ族両民族が居住している地域は中国・満州と地理的に近いせいもあり、物質面にとどまらずに精神文化面でも多大な影響を受けていた。しかし、ナーナイ族、ウリチ族両民族は中国・満州地域の精神文化をそのまま導入していたわけではない。
ナーナイ族、ウリチ族の花嫁衣装の背面には氏族の繁栄を願い、彼ら独自の世界観を反映している「世界樹」が刺繍されている。この樹木は天、地、地下界の3界をむすび、狩猟動物の「再生」という概念と密接に関わっている。
ナーナイ族やウリチ族の間では龍はシャーマンの助手をつとめると考えられ、シャーマンの衣装や所持品のなかで龍が図象化されることが多く、シャーマニズムの様々な局面で重要な役割を果たしている。しかしナーナイ族やウリチ族のイメージする龍は、中国で考えられているような様式の整った龍とは異なり、あいまいで漠然とした動物の姿で表現されている。すなわち龍はトカゲ、イモリ、ヘビなどの地下界をつかさどる動物と同じ仲間であり、そのバリエーションとして考えられているふしがある。
さわやかな装いの民族衣装。
アムール川下流の先住民族の家屋。
したがって龍が中国から比較的新しい時代に導入されたとしても、龍はアムール世界のシンボリズムのなかで非常に古くから、おそらくは新石器時代から定着しているそれら動物群の一要素として組み込まれ、あたかも新参者ではないかのごとくに取り扱われている。このようにナーナイ族、ウリチ族は龍をめぐるコスモロジーを発達させ、周辺のアイヌやニブヒ、エヴェンキとは異なる動物儀礼の形態を有していた。したがって龍の模様をもつ服(山丹服)がナーナイ族、ウリチ族両文化にしめる位置はその服がニブヒやアイヌ文化の中で占める位置とは異なって相対的に高いものとなっている。
アムール川流域では各民族ごとの居住地域が明瞭に区分されているような村落は現在でもまれであった。調査時に出会った人々の中にも、言葉や文化の差をこえて、異民族との婚姻を行ったり、その両親あるいは数世代前の親族の中に同様なケースを多々見いだすことができた。これはごく最近にのみみられる現象ではなく、19世紀末にはウリチ族がニブヒ、ネギダール、アイヌ、オロッコ、ナーナイ族、エヴェンキなどと婚姻している例が報告されている。
アムール川で網の手入れをするナーナイ族の漁師。
氏族の成員は絶えずどこか他の地域からの新参者によって補われていた。19世紀末にこれらすべての民族の間のどの氏族も非常に広範な民族要素からなる複雑な集合体を呈していた。アムール・サハリン地域の各民族の組成は複雑であり、多民族的(multiethnic)であった(Smolyak 1994:63-64)。
こうしてアムール川流域に特徴的な背景の中で、外来の文化要素が世界樹信仰やそれと深い関係にあるシャーマニズムにみられる独自の価値観と融合し、アムール地方独特の世界観、宗教的信条が形づくられていった。
衣服に刺繍されたり、アップリケで表現された動物意匠文(龍、ニワトリ、チョウ、コウモリ)はいずれも吉祥文として中国から伝わり、アムール地方で独自に消化され、その世界観の中でふさわしい地位と役割が与えられているのもその一例である。
また、周辺文明国家の毛皮需要に支えられ、毛皮交易においてきわめて商品価値の高かった毛皮獣動物の狩猟活動およびその再生儀礼も早くからその世界観の中に位置づけられることによって、エヴェンキのように秘儀化されることなく、花嫁衣装の世界樹のそばに表現され様式化された動物に表れているように、生・死・再生と連関するサイクルが完成していた。
【手塚 薫(てづか かおる)氏のプロフィール】
北海道生まれ
北海学園大学人文学部教授 博士(文学)
研究テーマ:先史時代から現代までの特に先住民族を対象にした島嶼環境における資源・土地の利用
著書『アイヌの民族考古学』同成社2011年
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