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日本/チリ・サケプロジェクトの活動
(JICAとチリ政府の国際協力) |
チリ財団を中心とする活動・民間企業などの活動・その他 |
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パウロ・アギレラ、北海道で研修。 |
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米国からの寄贈によるロス・ラゴス州でのギンザケ放流移植、失敗/アジェンデ政権発足。 |
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チリ南部2州で、第2次河川・湖沼・フィヨルド水生動物の調査。 |
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JICA専門家長澤、白石、チリ到着/サクラマスの発眼卵、到着/白石、急逝。 |
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サクラマスの稚魚、初放流。 |
ピノチェット政権発足。 |
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ソロサケの発眼卵、到着/シロサケの稚魚、初放流(無給餌)。 |
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バレンスエラとムエナ、マス養殖のジャンキウエ社設立。 |
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白石孵化場(コジャイケ)完成。 |
ドムシー社、チロエ島・ポペタン湖にギンザケ卵を運ぶも、暴風雨で流失。その後、クラコデペリスに孵化場建設。 |
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シロサケ放流(給餌)。 |
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ドムシー社、ポペタン湖にギンザケ20万匹、クラコデペリスにチヌークサーモン17万匹放流。ギンザケが初めて回帰/ニチロ・チレ設立、ギンザケの卵輸入。 |
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JICAプロジェクトタイプ技術協力(プロ技)、スタート。エンセナ-ダバハの陸上池と海面生簀でサケ稚魚の育成、10月から春期の放流開始。 |
30匹、回帰。ドムシー社、キャンベルスープへ売却/ニチロ・チレ、サケの海面養殖開始/ミティルス社、ギンザケの卵輸入。 |
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海洋環境調査開始。 |
ニチロ、ギンザケ130トン収穫。ミティルス社、海面養殖開始。 |
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エンセナ-ダバハ孵化場、完成/海面養殖(洋上生簀飼育)開始/カラフトマス稚魚、初放流。 |
ドムシー社のロドリゲス、生簀購入/チリ財団、ドムシー社を買収/ミティルス社、チリで初めてギンザケの国産卵20万粒を生産。 |
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シロサケから初採卵/湾内回遊シロサケ、回帰。 |
チリ財団、海面養殖事業化調査(1981~84)/チリ国、累積債務危機。 |
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国産ギンザケ導入/BKD(伝染性の細菌性腎臓病)を検出。魚病対策強化。 |
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JICAプロジェクトタイプ技術協力、延長。 |
チリ財団(サルモネス・アンタルティカ社)、本格的海面養殖開始、ドライペレット飼料工場拡張、モイストペレット飼料工場建設。 |
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飼料試験工場の運転開始。 |
チリから日本へ養殖サケ30トン輸出/「サケ魚病規制法」制定。 |
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マガジャーネス州でシロサケ7匹、回帰/良質ペレット(飼料)の生産開始。 |
ダルカウエにサケ加工工場稼動開始/TVでサケ養殖特集番組放映/このころ養殖用生餌の慢性的な供給不足。 |
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カウンターパートをSERNAPからIFOPに変更/シロサケ、最後の放流。 |
魚病問題深刻化。 |
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JICAプロ技のフォローアップ協力、スタート/ロス・ラゴス州、アイセン州などで魚病診断開始。 |
チリ財団(サルモネス・アンタルティカ社)、養殖サケの生産1000トンに/チリ財団、サルモネス・アンタルティカ社を日本水産に売却/日本へのサケ輸出1000トンに。 |
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ギンザケ国産卵生産の開発/湖産大型サクラマス大量回帰。ペレット販売収益増加/初のBKDフリー種苗開発/フォローアップ協力、終了。 |
日本向けサケ輸出が拡大し、日本が最大の輸出先となる。 |
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BKDフリー卵の生産体制確立。 |
エルウィン政権発足し、民政へ移行。 |
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「漁業および養殖に関する一般法」制定。 |
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種苗育種開発研究を開始/湖産サクラマス、最後の放流。 |
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サクラマス生息湖の資源調査。 |
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IFOP,ギンザケ初眼卵800万粒生産。 |
チリ、APEC加盟。 |
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アイセン州ギンザケ種苗生産の半分を供給。 |
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チョウザメ養殖開発計画開始。 |
日本・チリ修好100年。 |
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米国、チリ産サケマスのダンピング訴訟。 |