SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

第5回「釣り人語らず」

開高健全対話集成は全八巻からなっており、内容はとてつもなく大きな広がりと深さをもっています。パリの五月革命、ベトナム最前線へ死の冒険、アフリカからアラスカ、南北アメリカ大陸縦断の旅と世界中いたるところの自然と人界の出来事、また酒と料理、男と女、歴史と現在、世に存在するありとあらゆるものを、溌剌とした詩語を駆使して対談の中で語っておられます。
第3巻は「釣編・釣り人語らず」。その中に「わが敬愛する三人の釣師」という一文があり、井伏鱒二氏、福田蘭童氏、團伊玖磨氏の三人をあげておられます。「まともに井伏さんと酒でつきあっちゃいけないよ」といわれるくらいの酒豪で、釣の老師との対談を今回は掲載させていただきました。
開高健著「開高健全対話集成3・釣篇釣り人語らず」

「釣り談義 浮世問答 井伏鱒二」より抜粋

潮出版社 昭和57年6月10日発行
開高    毛鉤(けばり)の話から始めますけども、ヤマメを釣るのに朝鮮の高麗キジの剣羽根(けんばね)、一羽で左右二枚しかとれないんですが、その剣羽根をヤマメの毛鉤に使うと、原爆的に釣れるというんですね。それで釣道具屋が高麗キジの剣羽根を輸入し始めますと、心ある釣師はこのままでは日本のヤマメは絶滅するといって嘆いたといいます。
井伏    そんなに釣れますか。
開高    らしいんですね。そういう話を山小屋でしていますと、隅ッこで寝てたのがムクムクと起きてきまして、剣羽根が原爆的に効くなら、水爆的に効く毛鉤の材料をオレは知っている、というんです。みんな「何だ、何だ」と聞くんですがニヤニヤ笑って教えない。そのうち、みんな酒に酔って寝てしまった。私だけが焼酎のんで起きていると、ひどく勿体ぶった口ぶりで「先生にだけコッソリ教えてあげます」って。こんな秘伝をこんなに安く雑誌に発表していいかどうか分かりませんけれども、鼠の口ひげだっていうんです。
井伏    ほ、口ひげで。
開高    大体、毛鉤っていうのは、その土地土地の毛鉤が一番釣れるんですね。その土地の川に、どんな羽虫、川虫がいるかというのを知って作るから、ただ,小説もそうだけど個にして普遍という名作があります。イギリス人の作った毛鉤でアメリカでもドイツでも日本でも釣れるという超越的な名作がありますね。
このあいだ、井伏さんとご一緒したとき、私が使っていた毛鉤は、アメリカのミネソタの釣師の創作で、水の中を引きますとカジカが泳いでいるみたいに見える。ミネソタの川にいるカジカを一生懸命研究して作ったんですが、日本の湖でもバチッと効くんですね。
井伏    引っぱるときは、実際の羽根の色とはずいぶん変るでしょう。
開高    ええ、変っちまうわけです。だから毛鉤というのは、外見では分からないですね。水につけてからどう仕事をしてくれるかが問題なんで。井伏さんも随筆を拝見してますと、毛鉤を作っていらっしゃるんですけれども、効果はどんなものだったんですか。
井伏    不良でした。ぼくはドイツ文学の浜野修という人のをよく見ていた。この人、将棋と釣りが好きで、毛鉤も作ってましたよ。それがお手本でした。
開高    材料は何でしたか。
井伏    小鳥の毛を浜野君がらよくもらいました。浜野君は近所の小鳥屋へ遊びに行って、そこの隠居と話しながら、カナリヤの毛、ひょいと抜く。こっそりポケットに入れて来る。
開高    ハハハハ。(中略)
開高健記念館 外観(開高健記念館提供)
開高    ところで、孤独を求めて釣りにいくというのが世間の常識になっていますが、静かな所へ行くと、余計雑音が聞える。自分の心の雑音が。特に最初の一匹が釣れるまでは妄念妄想がこみ上げてきて、こんな綺麗な山の中の湖、アイスランドの北極に近い所までやって来て、まだこんなイヤらしいことを考えている、と思うと、つくづく自己嫌悪に陥るですね。一匹釣れたとたんに輝ける虚無と化すんですけれども、その一匹の釣れない日は陰惨ですね。
井伏    ひどく疲れる。
開高    あんなイヤらしいことばっかり考えるのは、私が修行不足のせいでしょうか。
井伏    だれでもそうではないかしら。
開高    とても人にはいえないようなことを考えてるですよ。その代わり、一匹釣れてくれさえすればあとは悠々、どんな大きいのがかかっても、走らせる、弱らせる、ためる、取る、悠々かんかんですね。一匹も釣れないで宿へ帰ってくる時の足は重いし、酒はニガいし、いよいよ俺もダメかなという極端なことまで考えるです。
井伏    川から宿へ着くまでの間、濡れたズボンがことに冷たい。
開高    そうですね。意地悪くしがみついてきますね。釣りは女房とか、電話とか、都会、公害、一切合財から逃げだすために行くということになってますけど、そのくせ釣れるとちょっとふり返って、誰か見ててくれないかなという心理が働く。ああ、まだ浅ましい、修業不足だナと思いますね。(中略)
井伏    猫も鼠をとると、ちらりとあたりを見ますね。
開高    ウーン、そうですね。ジェームス・ジョイスみたいに「内的独白」で、釣師が最初の一匹を釣るまでの独白を書いてみたら、陰惨、下劣、陋劣(ろうれつ)・・・とてもじゃない。ところがウォルトン卿のものを読みますと、そんなことちっとも書いてないんで、やっぱり自意識にさいなまれない時代の人は幸福だったのかしらと思いたくなるんですが・・・。
井伏    この間の湖には、あいの子みたいなマスやサケがいましたね。
開高    ええ、サケ・マス族は一世代限りの混血というのをよくやりますから、魚類学者は困るそうですね。
井伏    あとはどうなるんです?
開高    消えちゃうんです。サケが卵を産んで、そこへマスが射精したり、イワナがやって来てピュッとひっかけてたりして奇妙キテレツなのが出来るんですけれども、新しい種族としては定着しない、一代限りなんです。だから、奇妙な班点をもったマスが、イワナが現われたという釣師の報告で学者が駆けつけても、もう一年たってるんでいないんですね。(中略)
開高健記念館 中庭(開高健記念館提供)
開高    魚釣り文学ということを考えるんですが、あちらにはハッキリそう名づけていい素晴らしいのがあります。たとえば、ウィリアムスンという人が書いた大西洋サケの一生、サケの伝記文学みたいなものがありますけれども、川の畔に住みついて二十年かけて観察して書きます。これはもう絶品としがいいようがない。その種のものは他にもたくさんあって、独立したジャンルとして、完全に純文学として扱われて尊敬されているでしょう。日本ではたとえば、戸川(幸夫)さん、動物文学を書いているけれども、なにか異端というか、はずれたものとして扱われていますね。魚釣りとなると殊にない。林房雄さんの「緑の水平線」くらいです。
井伏    昔の日本にはなかったかしら?
開高    考えたんですけれども、あるでしょうか?海彦山彦・・・。
井伏    鉤こさえる話ね。
開高    幸田露伴はエビス様が抱いているのは、マダイがクロダイかといって争っているんですけれども・・・・、うん、露伴はちょっと書きましたね。
井伏    あ、そうね。
開高    彼の太公望の研究なんか、実に読んでいて楽しい評伝文学ですね。太公望は本当に魚を釣っていたのか、実在したのか、という、ある本には屋台のラーメン売りだった、パン売りだったと書いてあるし、豚の首を切る屠殺業者だったという説もある。文王が、釣れますかと寄っていったというけれども、こうなると「ヒレをくれと文王そばに寄り」というふうに川柳の書き替えをしなければいけない、というふうなことを、露伴はヨタをとばして楽しんでいる。ああいう評伝文学はその後ないですねえ。
井伏    どういうわけかな。
開高    忙しいんですよ、ひたすらに浅ましいんですよ、われわれ・・・(笑)。(中略)イギリスの外交官でE・H・カーが、あの激務の間に書いたのが、「浪漫的亡命者」とか「ドストエフスキー」「バクーニン」「マルクス」という、うっそうとした超一流の伝記文学ですね。それが余技として書かれている。いま四十二歳になって俺の余技は何かと考えると、魚釣り。しかも個にして普遍という毛鉤の名作一つ生み出せない。なおかつ本職のほうもまだ覚束ない。ただただ反省あるのみです(笑)。
井伏    ぼくも釣りということになるんだけれども、ただ、ぼくは釣りに行くとノイローゼが治る。釣りをしたから神経衰弱がひどくならなかったんだろうと思う。
開高    将棋とどっちがいいですか。
井伏    それは釣りのほうがいいです。将棋は、さしていればいろんなこと忘れるが釣りのほうがもっと忘れますね。あなたのように本職をしのぐ域に達すると、釣れないときは、またいろいろとイライラするだろうけれども。
開高    これは痛烈(笑)。
井伏    ぼくは釣れなければ、今日は釣れない日だと諦めるから。
開高    そうですかねぇ(笑)。こないだの湖でも、初日、二日目の横顔には濃い苛立ちの色を見たように思いますが・・・。
井伏    そりゃ釣れたほうがいいけれど(笑)。(後略)
開高健対話 釣篇 「釣り人語らず」
作家開高健は1974(昭和49)年に茅ヶ崎市東海岸南のこの地に移り住み、亡くなるまでここを拠点に活動を展開されました。その業績や人となりにふれていただくことを目的に邸宅を開高健記念館として開設。書斎は往時のままに、展示コーナーでは、期間をさだめてテーマを設定し、原稿や愛用の品々を展示しています。これらを通じて、たぐい稀なその足跡を多くの方々にたどっていただけるなら幸いです。(開高健記念館パンフレットより)
 
・所在地 〒253-0054 茅ヶ崎市東海岸南6-6-64
TEL&FAX 0467-87-0567
・開館日 毎週、金、土、日曜日の3日間と祝祭日 年末年始(12月29日~1月3日)は休館させていただきます。また、展示替え等のため、臨時に休館することがあります。
・開館時間 4~10月 午前10時~午後6時(入館は午後5時半まで)
11~3月 午前10時~午後5時(入館は午後4時半まで)
・入館料 無料
・交通 JR茅ヶ崎駅南口より約2km
東海岸北5丁目バス停より約600m
(辻堂駅南口行き  辻02系  辻13系)
記念館に駐車場はありません
開高健(かいこう たけし)
1930年大阪市生まれ。大阪市立大学法学科卒業後、寿屋(現・サントリー)に宣伝部員として入社し、PR誌「洋酒天国」の創刊やすぐれた広告を制作する。57年「パニック」を「新日本文学」に発表し、注目を集める。58年「裸の王様」で第38回芥川賞受賞。64年に朝日新聞臨時海外特派員としてベトナム戦争を取材する。代表作に「日本三文オペラ」「輝ける闇」「夏の闇」「オーパ!」など。89年食道癌に肺炎を併発し、永眠(享年58歳)。
井伏鱒二(いぶせ ますじ)
1898年(明治31年)現・広島県福山市生まれ。兄の勧めで文学に転向し、早稲田大学に入学。青木南八と親交を結び、ともに文学部仏文学科に進む。1923年(大正12年)、同人誌『世紀』に参加し、「幽閉」を発表。1929年(昭和4年)「幽閉」を改作した「山椒魚」を発表。1930年(昭和5年)初の作品集『夜ふけと梅の花』を刊行、小林秀雄などが出していた雑誌『作品』の同人となる。また、初めて太宰治と会ったのもこの年であった。
1938年(昭和13年)、『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞受賞、『文学界』の同人となる。戦時中は陸軍に徴用され、日本軍が占領したシンガポールに駐在し、現地で日本語新聞の編集に携わった。この経験が、その後の作品に大きな影響を与えている。直木賞選考委員、芥川賞選考委員を努め、野間文芸賞、文化勲章受章。東京都名誉都民。1993年(平成5年)死去、95歳没。
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