|
|
開高 |
魚釣り文学ということを考えるんですが、あちらにはハッキリそう名づけていい素晴らしいのがあります。たとえば、ウィリアムスンという人が書いた大西洋サケの一生、サケの伝記文学みたいなものがありますけれども、川の畔に住みついて二十年かけて観察して書きます。これはもう絶品としがいいようがない。その種のものは他にもたくさんあって、独立したジャンルとして、完全に純文学として扱われて尊敬されているでしょう。日本ではたとえば、戸川(幸夫)さん、動物文学を書いているけれども、なにか異端というか、はずれたものとして扱われていますね。魚釣りとなると殊にない。林房雄さんの「緑の水平線」くらいです。 |
|
井伏 |
昔の日本にはなかったかしら? |
|
開高 |
考えたんですけれども、あるでしょうか?海彦山彦・・・。 |
|
井伏 |
鉤こさえる話ね。 |
|
開高 |
幸田露伴はエビス様が抱いているのは、マダイがクロダイかといって争っているんですけれども・・・・、うん、露伴はちょっと書きましたね。 |
|
井伏 |
あ、そうね。 |
|
開高 |
彼の太公望の研究なんか、実に読んでいて楽しい評伝文学ですね。太公望は本当に魚を釣っていたのか、実在したのか、という、ある本には屋台のラーメン売りだった、パン売りだったと書いてあるし、豚の首を切る屠殺業者だったという説もある。文王が、釣れますかと寄っていったというけれども、こうなると「ヒレをくれと文王そばに寄り」というふうに川柳の書き替えをしなければいけない、というふうなことを、露伴はヨタをとばして楽しんでいる。ああいう評伝文学はその後ないですねえ。 |
|
井伏 |
どういうわけかな。 |
|
開高 |
忙しいんですよ、ひたすらに浅ましいんですよ、われわれ・・・(笑)。(中略)イギリスの外交官でE・H・カーが、あの激務の間に書いたのが、「浪漫的亡命者」とか「ドストエフスキー」「バクーニン」「マルクス」という、うっそうとした超一流の伝記文学ですね。それが余技として書かれている。いま四十二歳になって俺の余技は何かと考えると、魚釣り。しかも個にして普遍という毛鉤の名作一つ生み出せない。なおかつ本職のほうもまだ覚束ない。ただただ反省あるのみです(笑)。 |
|
井伏 |
ぼくも釣りということになるんだけれども、ただ、ぼくは釣りに行くとノイローゼが治る。釣りをしたから神経衰弱がひどくならなかったんだろうと思う。 |
|
開高 |
将棋とどっちがいいですか。 |
|
井伏 |
それは釣りのほうがいいです。将棋は、さしていればいろんなこと忘れるが釣りのほうがもっと忘れますね。あなたのように本職をしのぐ域に達すると、釣れないときは、またいろいろとイライラするだろうけれども。 |
|
開高 |
これは痛烈(笑)。 |
|
井伏 |
ぼくは釣れなければ、今日は釣れない日だと諦めるから。 |
|
開高 |
そうですかねぇ(笑)。こないだの湖でも、初日、二日目の横顔には濃い苛立ちの色を見たように思いますが・・・。 |
|
井伏 |
そりゃ釣れたほうがいいけれど(笑)。(後略) |
|