SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

2010年12月、山梨県・西湖で、絶滅種「クニマス」発見!から3年。ふるさと秋田県・田沢湖に、クニマス稚魚10尾が里帰り。
クニマス
かつて秋田県の田沢湖で、絶滅したと思われていた「クニマス」が山梨県の西湖(富士五湖)で発見され、話題騒然となった2010年12月から、約3年。
現在、山梨県の西湖漁業協同組合では、クニマス繁殖域の禁漁区指定などの保護対策を実施しています。(毎年3月20日の漁解禁よりクニマスが生息している湖北岸の約1万平方メートルを新たに自主禁漁区域に設定)
西湖
クニマスの生息確認の知らせを受けるやいなや2010年12月17日から、秋田県の仙北市では、国や県と協力して田沢湖の水質改善を進めるなど、将来的にクニマスを田沢湖に戻すことを前提とした諸活動を計画し、「クニマス里帰りプロジェクト」を発足させ活動を開始しています。
しかし、田沢湖の水は依然として強い酸性を保っており、クニマスを田沢湖に戻すには程遠い状況であるため、当面はクニマスの生態調査に力を注ぐと同時に、県内の他の場所でもクニマスを養殖できないか、山梨県とも協力しながら検討を続けています。
2012年2月には京都大学総合博物館中坊教授とNHK取材班がクニマス産卵の様子をカラー画像による撮影に成功。伝承通りクニマスは冬場に産卵することが実証されました。
また、山梨県水産技術センター忍野支所では、西湖のクニマスの産卵実態調査、生態環境調査、人工増殖を行い、現在西湖のクニマスから採卵してふ化させた約700匹を飼育しています。
田沢湖
2013年3月7日、山梨県水産技術センターで人工増殖したクニマス稚魚10尾がふるさと田沢湖に送ることができました。
このことは、山梨県横内知事、富士河口湖町渡辺町長、そして京都大学総合博物館中坊教授のクニマスを早く故郷である地元の皆さんに見せてあげたいという計らいで実現できたそうです。
さて、ここで、クニマスについて復習しておきたいと思います。
●クニマスって、どんな魚?
クニマスはベニザケの陸封型のヒメマスに非常に似ている鮭類で、田沢湖にしか生息していませんでした。なぜ田沢湖で固有種になったのかは、わかりませんが、海から遡上したベニザケが田沢湖に適応して、新種クニマスができたと考えられています。
●なぜ、田沢湖のクニマスは絶滅したの?
昭和15年(1940年)から田沢湖は発電所の貯水池となり、強酸性水の玉川の水も導入したため、湖水が酸性水となりクニマスは死滅したといわれています。
●なぜ、西湖でクニマスが発見されたの?
1935年、田沢湖から西湖に送られたクニマスの受精卵を孵化放流したものが、繁殖を繰り返していたと考えられています。
きっかけは、京都大学教授の中坊徹次さんがタレント・イラストレーターで東京海洋大学客員准教授のさかなクンにクニマスのイラスト執筆を依頼。さかなクンはイラストの参考のために日本全国から近縁種の「ヒメマス」を取り寄せたところ、西湖から届いたものの中にクニマスに似た特徴をもつ個体があったため、さかなクンは中坊さんに「クニマスではないか」としてこの個体を見せ、中坊さんの研究グループは解剖や遺伝子解析を行なった結果、西湖の個体はクニマスであることが判明した、ということでクニマス発見となりました。
田沢湖にいたクニマスについての話・・・・・杉山秀樹 編・著「クニマス百科」より抜粋
【田沢湖観光協会の人の話】・・・クニマスは、湖の深部に生息し、その生態は謎に包まれていたものの、淡白な味を持つ貴重な魚とされていました。明治の末期には、湖畔の潟尻で県事業としてふ化放流が行われ、基礎研究が進み、さらに、大正に入ると、場所を春山に移して本格的なふ化事業が進められた結果、漁獲量も徐々に増加し、半農半漁を生業としていた当時の地元の暮らしを支えるまでに至っておりました。
【田沢湖畔で旅館を営業した人からの話】・・・旅館ではクニマスを田沢湖名物としてお客さんに提供していました。白身の魚で、身は軟らかかった。値段が高いことや、魚体がそろっていることから、お祝いごとなど特別な日に利用されていた。いわば、普段のときはあまり口にすることのできない高級魚だった。漁師は網にかかったクニマスを一匹一匹、丁寧にはずし、売りさばく。相当な収入となっていた、と思われます。
【田沢湖の漁師さんの話】・・・クニマスは年間を通して捕っていた。ほぼ毎日のように漁に出た。年間にすると300日以上になった。2月から3月にかけては、浅いところに網をおろしたものです。クニマスは2月ごろが産卵の最盛期だったと思います。漁業組合ではこの頃になると、発動機船で主な集落を回り、捕ったクニマスから採卵をした。
さし網によるクニマス漁
クニマスの多く捕れる場所の権利はいわゆる世襲で、昔からそこに住んでいる人に限られていた。他の人は簡単にその権利は手にすることはできない。
刺し網は夕方に仕掛け、翌日に揚げるのと、朝に網を揚げたあと引き続き別の網を仕掛けるという2つ方法がありました。作業は朝早くから昼近くまでかかっていました。クニマスは網から舟にあげるとまもなく死んでしまう弱い魚でした。
捕れたクニマスは、うちに持ち帰り、その家のおばあさんなどが行商に出て売り歩いたり、専門の行商人も仕入れにきました。農家の人は米と交換する人も多かったようです。出産のあとの滋養に、病人の見舞い用にという注文も多くありました。
田沢湖・春山にあったふ化場。規模は小さいが、管理小屋、ふ化場、水路、稚魚池などが配置されている。(「クニマス百科」より)
クニマスを人工ふ化するようになってから多く捕れるようになったためか、クニマスの形は小さくなったといわれました。受精させた卵はほとんどふ化しますが、成長するにつれエサを何にするのかが分からず、失敗したという話も多かったようです。大昔から田沢湖で生存していた天然のクニマスは、何かを食べて世代交代をしえきただろうからと浮上してきた時をみはからい田沢湖に放流してみたところ、数年後に豊漁になったということもあったといいます。卵黄をエサにしてみたり、さまざまな研究をして稚魚を育てるための苦労を重ねたようです。十和田湖から来たヒメマスの人工ふ化は餌付けがよくクニマスより早く成功したと聞いています。
標本で見る田沢湖のクニマス・・・・・「クニマス百科」の写真は杉山秀樹氏の許可を得て掲載
*1925年(大正14年)採集、全長26.5センチの雄。尾の湾入がほとんど認められない。(「クニマス百科」より)
左:採捕年月日は不明。全長28.5センチ。歯が大きい、尾びれの湾入が浅い。胸びれと腹びれが長いなどの特徴が認められている。また、背部やひれの一部に黒色が残っている。
右上:クニマスの雄  右下:クニマスの雌
(「クニマス百科」より)

クニマスの今後は、どのように扱っていくのかは、難しいところです。
元来、西湖のクニマスは本来そこに生息していなかった魚であり、扱いは『国内外来種』です。今後は、これは生態系保全や生物多様性を考えていくうえで,とても慎重に考えなければならない課題でしょう。絶滅危惧種や希少種の保護は,ついつい「対象種を守ること,存続させること」のみに関心がいってしまいますが,本来それらを保護するのは,生物多様性の保全のためであり,そのためには絶滅危惧種だけでなく,その地域を構成するあらゆる生物のありようを守っていくことが必要なはずです。安易な移植保全活動にならないように対応したいものです。
参考資料:田沢湖まぼろしの魚「クニマス百科」編・著 杉山秀樹 秋田魁新報社 平成12年8月30日発行
*田沢湖関連の写真は「クニマス百科」の杉山秀樹氏の許可を得て掲載させていただいております。
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