魚肉ソーセージは日本で発明された食品です。その発祥は諸説ありますが、大正時代から日本各地の水産試験場で試作され、昭和10年(1935年)当時の農林水産省水産講習所の教授がマグロを使ってツナハムを試作販売したのが最初といわれています。
マルハニチロでも同じ頃、当時の日魯漁業が函館でサケ・マスのソーセージを最初に製造販売したとみられます。戦後、魚肉ソーセージが商品として徐々に一般化していくなかで、マルハニチロ(当時の大洋漁業)は昭和28年(1953年)に魚肉ソーセージの本格生産販売を開始しました。当時、原料として使われていた主な魚はマグロやクジラでした。この頃の魚肉ソーセージは1本130gで30円。卵1個が10円、コロッケ1個が5円という時代でしたから、1本30円の魚肉ソーセージは相当高価な食べ物だったといえます。また、動物性タンパク質が乏しい時代だったので、魚肉ソーセージは貴重な食べ物でもありました。
昭和30年代後半(1960年代)に入ると、不足気味になったクジラ・マグロに代わって白身魚の冷凍すりみが原料として使われるようになり、魚肉ソーセージの生産量は一気に拡大しました。昭和47年(1972年)には、業界全体での魚肉ソーセージの生産量は約18万トンまでに拡大し、生産・消費のピークを迎えます。
これを当時の一世帯当たりの年間消費量に換算すると4.37kg。各家庭で1本95gの魚肉ソーセージを年間46本も購入していた計算になります。冷蔵運搬手段が整っていない時代に、常温で保存ができ、味も淡白で日本人好みと好条件がそろっていたことから、都会はもちろん農村・漁村にまで広く普及していきました。
昭和30年代に発売されていた魚肉ソーセージ。高たんぱく質の魚肉ソーセージは魚の捕れない山間部で重宝されました。
昭和47年(1972年)、魚肉ソーセージの生産は最盛期を迎えます。原料がマグロやクジラから冷凍すりみに変わり、魚肉ソーセージの生産量は飛躍的に拡大しました
昭和40年代後半(1970年代)になると、一部保存料への規制が高まり生産量は13万トンにまで減少します。そこで業界全体が一丸となって、「安全・安心」な製造方法である高温高圧殺菌、レトルト殺菌製法を開発。しばらくは10万トン台で推移しました。その後も、昭和52年(1977年)の「200海里」により原料の冷凍すりみ価格が上昇し始めたことに加え食生活の変化も影響し、業界全体の生産量はさらに減少してしまいました。
しかし、それまで減少し続けてきた傾向も今では歯止めがかかり、生産量は横ばい、もしくは上げ基調に転じて回復の兆しをみせつつあります。その要因のひとつは、お魚のヘルシーさが昨今の健康志向に合致し、魚肉ソーセージ=「カラダによいもの」としてしっかりと認識されるようになってきたと考えられます。マルハニチロも業界の活性化に向けてさまざまな取り組みを行ってきました。
魚肉ソーセージは常温保存が可能で保存性に優れた食品です。そのままでも食べられますが、和洋中さまざまな料理素材として利用でき、簡単で便利でくせがありません。アウトドアにも最適です。さまざまな商品開発が進むなか、その栄養価値も大きく見直されつつあります。
魚離れが心配される今こそ、魚肉ソーセージのおいしさや良さを多くの方に知っていただき、ロングセラーとしての伝統や価値を再認識していただければうれしいです。
1935年 | 魚肉ソーセージ最初の製品(試作)誕生 | |
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1941年 | 太平洋戦争勃発 | |
1950年 | 朝鮮戦争勃発 | |
1953年 | 日本初のテレビ放送開始 | マルハニチロ、魚肉ソーセージの本格生産開始 |
1954年 | 第五福竜丸事件 ゴジラ登場! |
マグロ相場の低迷により、魚肉ソーセージ生産拡大へ 4千トン台※ |
1955年 | 日本魚肉ソーセージ協会設立 | |
1950~ 1960年代 |
所得倍増計画 冷凍すりみ製造技術の発明、実用化 |
魚肉ソーセージ生産、急拡大へ 魚肉ソーセージ原料の変化:クジラ・マグロから冷凍すりみへ |
1966年 | ビートルズ来日 | |
1972年 | 魚肉ソーセージ生産ピーク 約18万トン※ |
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1975年 | 製造方法の大幅な変更(防腐剤使用を取りやめ、高温高圧殺菌・レトルト殺菌製法に) | |
1977年 | 「200海里」元年 | 魚肉ソーセージ生産減少へ 9万トン前後※ |
1980年代 | 冷凍すりみ価格の高騰 | |
1990年代 | 魚肉ソーセージ生産低迷 8→7→6万トン台へ※ |
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2000年代 | ||
2010年代 | 食品の「健康・安全・安心」志向 | 生産量さらに減少 5万トン台※ |
2020年代 | 魚肉ソーセージ生産回復基調 |