MEMBER02

九州から東京へ。
目指すは、
食のゼネラリスト。
A.M.
販売・営業デリカ営業部
デリカ一課
2021年入社
※所属は取材当時のものです

介護食の開発に
興味を持つも、
九州支社の営業に。

高校生の頃に祖母が病気で倒れ、口から栄養を摂ることが困難になりました。また、自分自身も過去に過度な食事制限で体を壊したことがあり、食の重要性を身を持って感じたことで管理栄養士を目指すように。大学で専門的に学んでいくうちに「未来の食に携わりたい」という思いも生まれ、介護食の研究にも取り組みました。そこで、マルハニチロのメディケア食品と出会ったのです。見た目はもちろん、味も抜群に美味しく、感動したことを覚えています。さらに就職活動で「マルハニチロは介護食だけではなく、毎日でも家族に食べてもらいたいと思う商品がたくさんある」という言葉を先輩社員から聞き、入社を決意。そうした経緯もあり「いずれは介護食の開発に携わりたい」と思って入社したのですが、最初の配属先は九州支社の営業職。社会人1年目で縁もゆかりもない土地で、コロナ禍の真っ只中ということもあり、配属通知を開いてからは不安な気持ちでいっぱいでした。しかし、その後、人事の方に理由を尋ねると、「九州で介護食を広めてほしい。九州の営業なら幅広い業務に携わることができ、Aさん自身の成長も早い」としっかり答えてくださったことで納得して九州に向かうことができました。

大型コンペをはじめ、
本当に濃い
3年間を過ごす。

今振り返ると、最初の配属先が九州支社で本当に良かったと思っています。仕事でもプライベートでも出会いの連続で、すべてが新しい刺激であふれていました。特に、日々の仕事で接する卸の担当者やバイヤーの方々との出会いは有難かったです。右も左もわからない新人の私に、様々なことを一から教えてくれました。さらに、九州支社だからこそ経験できた仕事もあります。それは入社2年目の春、当時の九州支社で最大の商材だった「イカの唐揚げ」のコンペです。先輩から担当を引き継いだ量販店の経営統合に伴い、マルハニチロを含む3社の中から1社のイカの唐揚げを選ぶというコンペの主担当を任されることになったのです。売上がゼロになるか、3倍になるかの大勝負。その話を電話で聞いた時から震えが止まらない私を前に、当時の上長は「ワクワクする仕事だよね!やるだけやってみよう!」と楽しげな様子…。最初は不安な気持ちでいっぱいでした。それでも、お客様とも本音でぶつかり、コンペまでの1か月半、自分にできることは何でもやりました。
本社の商品担当者とも何度も話し合い、工場で作り方も教わり、競合商品も全部食べ、水産第二部 タコ・イカ課の担当者にも電話をするなど…。気づいたら、コンペを前に私もワクワクし始めていて、当日は落ち着いて提案することができたのです。結果は採用。うれしさが込み上げると同時に、協力してくださったみなさんの顔が浮かんできました。本当に濃い九州での3年間だったと思います。

惣菜をもっと
深く勉強するため、
東京本社へ。

そして、入社4年目となる今年から、東京本社のデリカ営業部へ。ここは大手総合スーパーなどの惣菜売場専門の営業部門。九州での経験から惣菜の営業の面白さに目覚め「もっと深く勉強したい」と希望を出して異動した部署です。弁当や麺類、揚げ物はもちろん、ベーカリーや寿司など、提案する商品の幅は広く、水産物から畜産物、野菜、さらにはホイップクリームや調味エキスまで、商材は無限大。お客様の「こういうお惣菜を作りたい」という想いに応え、一緒に試行錯誤して形にする仕事です。例えば、のり弁一つを取っても、「どんな容器に何をどのくらい入れる?客層は?価格は?店舗で調理できるの?季節感や差別化のポイントは?」など検討することが山ほどあります。時間をかけて作った商品が完成し、売場に並んでいる様子を見るとかけがえのない宝物を見ているようでトキメキますね。さらに、お客様から「とても好評で売れているよ!」といった言葉を頂いた時は大きなやりがいを感じます。この部署に異動して8ヶ月。まだまだ学ぶことだらけですが、九州時代と同様にここでも貪欲に吸収し、どんな課題もワクワクを忘れず挑戦し続けたいですね。そして、目指すは「食のゼネラリスト」。介護食への興味から始まりましたが、何でも取り扱っているマルハニチロの強みを最大限に活かし「この人に聞けば何でも知っている!」という信頼されるような営業になりたいと思っています。

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