もっとわかるプロジェクトストーリー陸上養殖 ─ 海の恵みを次世代に

サステナブルな未来を描く陸上養殖

日本海を望む海辺の町、山形県遊佐町(ゆざまち)。2017年秋、この町にマルハニチロ中央研究所研究員がある使命を帯びて赴任しました。同年2月にスタートしたサクラマス陸上完全養殖をテーマとする試験研究。その実証実験がいよいよ始まろうとしていたのです。

「プロジェクトは、農林水産省産学官連携協議会が主催する『「知」の集積と活用の場』® を通じて私たちが提示した企画をベースに、産学官6機関が参画するコンソーシアムで取り組む研究事業として始動しました」

世界の天然水産物の漁獲量は、20世紀後半に2,000万トンから9,000万トンまで増加した後、1990年代に入ると温暖化や乱獲の影響で横ばいに転じました。2010年代には養殖による生産量が天然水産物を上回るようになり、その影響は私たちの食生活にも及んでいます。(*1)

「日本人が一番好きな寿司ネタはサーモン(*2)です。でも私たちが口にしているサーモンのほとんどはアトランティックサーモンやトラウトなどの輸入品。外来種です。海洋国でありながら、遠く海外から輸入された魚を食べているんです」

日本のサケマス類の主な輸入先であるノルウェーやチリは、サーモン養殖に適した地形、水温、水質を生かして大規模な海面養殖施設を運用することで、圧倒的な市場競争力で増え続ける需要に応え続けてきました。しかし、海にはすでに養殖適地がほとんど残されていないのが現状です。養殖なくして水産物の安定供給が成り立たない以上、私たちは次の一手を打たなければなりません。

「それが陸上養殖です」

気候変動や紛争によって食糧事情が不安定になるなか、国連は2050年に世界人口が97億人に到達すると推計しています。次の世代、またその次の世代が暮らす未来で、私たちに不可欠なタンパク源である水産物は残っているだろうか。おいしくて安全な魚を食べて、人々は幸せに暮らしているだろうか。その答えを導き出す実証実験でした。

*1:FAO Fishstat調べ(世界の水産物漁獲量)

*2:当社調べ(回転寿司に関する消費者実態調査2022)

マルハニチロ中央研究所 遊佐試験場
大きいものでは4kgを超えたサクラマスの成魚

やるなら日本の在来種で

「日本の水産資源も危機的な状況にあります。今から育種や種苗生産に取り組まなければ、在来種は『幻の魚』になってしまうかもしれません。生物多様性を守る意味でも、試験養殖をやるなら日本の在来種でやりたい。私たちはそう考えていました。まずは地産地消型ビジネスを目指して始動しました」

最初の種苗(稚魚)は、参画メンバーである山形県から提供を受けました。サクラマスは山形県の県魚。ただし天然魚の生食は、アニサキス(*3)などの寄生虫感染リスクがあるためNG。一方、配合飼料で育てる陸上養殖のサクラマスの利点のひとつに安全性の高さがあります。「出荷量が安定すれば、サクラマスをご当地食材としてもっとアピールできる。観光資源としての付加価値も高い」。そんな地元の期待を一身に受けた稚魚でした。

「ところがこの稚魚が餌をまったく食べてくれないんです。サクラマスというのはヤマメが降海したものなので、分けてもらったのは放流用のヤマメの稚魚。天然魚として育つ種苗なので、成長する過程で人に釣られないように『人は危険』と刷り込まれているんです」

人の姿を見せずにどう給餌すればいいのか。あれこれ試してみるもののお手上げ状態。山形県に試験用種苗専用の水槽を用意してくれるように頼み込み、人に慣れるまで毎日、種苗生産施設まで餌やりに通うことになりました。結果「人は餌をくれる存在」と覚えた稚魚は餌をよく食べ、大きく成長してくれました。魚体の大きな魚を親魚に選抜し、さらにより成長が早い魚、より体型の良い魚と選抜育種を繰り返し、4年に及んだプロジェクトで4回の種苗生産試験を実施し、平均体重2kgまで成長させることに成功しました。

*3:餌とするプランクトンをアニサキスごと魚が捕食し、魚の体内にそのまま留まって寄生します。

飼育槽内の水は閉鎖循環式陸上養殖システムにより循環・濾過される。
天然アスタキサンチンを配合し、魚粉使用率を40%削減したオリジナル飼料を開発。
親魚候補群は、日長(一日のうちの昼の長さ)を徐々に短くしながら同時に水温も徐々に下げ、季節の変化を感じさせた上で逆馴致(海水で飼っていた魚を徐々に淡水に慣れさせる)させ、「川にもどってきた」と勘違いさせる。
産学官連携プロジェクトは2021年3月に終了。遊佐町・山形県・関係機関による新体制のもとで現在も研究を継続中。

実証実験から事業フェーズへ

しかし数字以上に大切なのは、このプロジェクトが日本の従来のサーモン養殖に対するアンチテーゼだったということです。まだ誰も手がけていない、育種の難しいサクラマスを私たちが敢えて選んだのはなぜでしょうか。研究員の答えはこうです。

「日本のサーモン養殖では、海外から輸入した発眼卵(*4)を使うのが主流です。でもそれでは育種や種苗生産のノウハウはいつまでたっても蓄積されません。水産資源の枯渇が危ぶまれる今、世界の養殖事業はいずれ陸上中心になっていくかもしれません。そうなったときに始めても遅いのです」

その言葉は、すでに現実のものとなって動き出しています。マルハニチロは2022年10月、富山県入善町に舞台を移し、三菱商事と共同でアトランティックサーモンの陸上養殖を進める合弁会社アトランド株式会社を設立。遊佐町での実証実験は、日本のサケマス養殖があるべき姿へと向かっていくための布石だったとも言えるでしょう。産学官連携プロジェクト終了後、私たちは研究を引き継いだ新体制と連携し、サクラマスと並行してサーモン養殖事業に向けた試験飼育をスタートさせています。

「今、遊佐町の水槽にはアトランティックサーモンが泳いでいます」

*4:発眼卵=卵の膜を通して肉眼で魚の目が見える状態の卵

アトランド株式会社で陸上養殖に取り組むアトランティックサーモン
魚の排泄物や餌の残りなどをろ過することで水質を良い状態に保つ。
ウィルスや細菌の増殖も防ぐことができる。

海洋深層水で電力消費を大幅削減

実証実験では、施設運用面の課題も浮き彫りになりました。

サケマス類の養殖では、稚魚期には淡水飼育から海水飼育へと徐々に切り替えて降海を体験させ、親になる魚には逆のことをして遡上を体験させます。水槽内の塩分濃度と水温を調節して、降海や遡上のタイミングを魚に人為的に与えてやるのです。飼育に適した水温は5〜13℃。水温管理は電力に頼らざるを得ません。夏場の海水温が20℃を上回る遊佐試験場では膨大な電力を要しました。事業フェーズに進むかどうかは、電力消費をどれだけ抑えられるかにかかっていました。

「入善町は、立山連峰からの豊富な伏流水と、富山湾の海洋深層水に恵まれた『名水のまち』です。生鮮魚として流通できるレベルの生産量を維持するには、冷涼な淡水・海水をふんだんに取水できるこの立地が不可欠です」

光が届かない水深300メートル以深に存在する海洋深層水は、年間を通じて低温(約3℃)で安定しています。施設まで汲み上げる取水管の中でほぼ適温になるため、電力消費量を大幅に抑えることができます。当然ランニングコストの軽減にもつながります。

「2027年の初出荷を目標に、2025年には養殖施設が竣工する予定です。それまで遊佐町では引き続き育種・種苗研究を進めていきます。国産ブランドのサーモンの商品化を目指していきたい」

マルハニチロは、海の恵みを糧に歴史を築いてきた企業として、サステナビリティの実現を最優先課題に事業を進めています。ブランドステートメントでもある「海といのちの未来をつくる」。陸上養殖がこの決意の証左となる未来を、私たちはめざします。

黒部川扇状地の中央に位置し、伏流水と海洋深層水に恵まれる富山県入善町
入善町の沖合3キロメートル、水深384メートルから低温の海洋深層水(日本海固有水)を取水。
夏場の水温維持にかかる光熱費抑制が期待されている。
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