モノ語リ

あけぼのさけ

ワタクシ齢百を超え、
ますます意気軒昂ナリ。

私、こと「あけぼのさけ」缶の来歴をお話しましょう。 日露戦争によって締結された日露漁業協約(1907年)。カムチャッカ沿岸にかけての漁業権が拡大したことで、堤商会(新潟)を主とした母船式サケ・マス漁がはじまります。
船内に缶詰・塩蔵設備を備えた「母船」と、運搬船・給油船ら50余隻が船団をつくり出漁しました。 当時はシロサケなどに高値がつく一方、不人気なベニサケは買い叩かれる。そこで堤商会の創業者・堤清六と平塚常次郎がベニサケで保存も出来、すぐに食べられる「付加価値」をつけて売ることを発案*。 *現在はカラフトマスを主原料としている
1910(明治43)年、輸出用缶詰「あけぼのさけ」が誕生します。以後、日本の缶詰産業は急成長し、国内消費も急増。かの堤商会も1921年、日魯漁業(現マルハニチロ)へと改称しました。

あれから百歳に垂んとする私は、国内外で累計約40億缶を出荷する長寿商品へ。
この間、原材料・容器などをイノベートしつつ、折からのエコブーム・健康ブーム・時短ブームを追い風に、ますます意気軒昂なのであります。

長寿の秘訣? それは素材を生かした、変わらぬおいしさにアリ! 新鮮なサケに水と塩だけを加えたシンプルな調理法を、頑なに守り続けてきたことでしょう。
これまでも。これからも。日本の、世界の食と健康長寿へ奉仕していく所存ゆえ、切に、ご贔屓願えますよう。

100年前の愛用者は
英米の人々

明治末期、発売当初の価格は1缶20-35銭。これは、日本国内で米3升(4.5kg)が買えるほどの“たいへんな高級品”であった。そのため主としてイギリスへ輸出され、外貨獲得に大いに貢献。輸出がピークを迎えたのは第2次世界大戦前夜で、1939年には263万函(ケース)、1.5億円分が海を渡った。

3ピース構造の
「サニタリー缶」

「あけぼのさけ」の缶は3ピース構造。缶蓋(トップ)には異種金属が触れても腐食しにくいアルミ合金を使用。また缶胴(ボディ)は鉄板に錫(すず)メッキを施し、更にニッケルをメッキして耐食性・溶接性・塗装性を強化。缶底(エンド)は薄く延ばした鉄板に錫メッキを施した。これが三位一体となって、常温で3年間の長期保存が可能な「サニタリー缶」となる。

あけぼのさけ

水・塩だけの
シンプルな調理法

主に5~7月に北海道道東沖に水揚げされたカラフトマス(PINKSALMON)を使用し、グループのマルハニチロ北日本釧路工場で加工。工場では身を切りそろえ、食塩水につけて肉を引き締め(塩析)、密封したのち、レトルト釡に入れて加熱殺菌。これが、保存料や添加物を一切加えずに長期保存できる「水煮」という調理法。

身も骨も皮も!
サケ缶は栄養の宝箱

サケの身は、人体では生成されない9種類の必須アミノ酸をすべて含み、DHAやEPAをはじめ、ビタミン類(A、B12、D、E)、ミネラル、アスタキサンチン等も含む。さらに、やわらかく「煮た」中骨や皮目も一緒に食べられるサケ缶は、中骨に含まれるカルシウムや、皮に含まれるコラーゲンも摂食できるのがメリット。

あけぼのさけ

イノベーション!
究極のエコ製品へ

冷蔵不要で流通でき、お店や家庭でも常温保存できる。また“時短調理”との相性が良く、光熱費・水道費といった家計負担も低減。容器のスチール缶はリサイクル率92%(アルミ缶は93.6%)と世界トップレベルだ。工場内でも、頭部などに残ったおいしい部分は缶詰類に加工され、他の部位はすべてエキスや飼料として再利用される。

さらなるトリビア
缶詰の明日

(公社)日本缶詰びん詰レトルト食品協会の調査によると、日本人は飲料を除く食料缶詰・びん詰では、年間1人あたり約8.3kgを消費しているとか。1缶250gで計算すれば33缶。いまや「缶詰にできない食品はない」といわれるほど発達した加工技術。国内・世界に流通するものは、一般的な食用缶詰から、ベビーフード、ペットフード、飲料、タレ・調味料など、その種類は多岐にわたる。

2020年6月時点の情報です
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