PROJECT 01「あおり炒めの焼豚炒飯」
開発プロジェクト

プロの料理人の「動き」と「味」を機械で再現し、
完全ライン生産の構築まで成し遂げた、一人の開発者の物語

目指したのは、
機械による
高級中華店料理の
“完全”再現。

I.T.
(当初)商品技術開発部
(現在)広島工場 生産管理課
2000年入社
※所属は取材当時のものです

新しい技術で生まれる、
新しい炒飯を。

「明日から1ヶ月、中華料理屋へ修行に行ってきてくれないか」。そう言われたときは驚きと戸惑いでいっぱいでした。私が入社した2000年当時、マルハニチロから発売された「神戸名物そばめし」が大ヒット。しかし、徐々にその人気も減速しはじめ、他メーカーのとある冷凍炒飯の発売と同時に、人気はすべてその炒飯が奪っていったのです。炒める飯、と書いて「炒飯」。それまでの冷凍炒飯は、炒めるという工程をしっかり踏んでおらず、炊いた米に卵・焼豚といった具材や調味料を混ぜ合わせる方法で作られていました。そんななか他社から発売された冷凍炒飯は、ご飯を油で加熱し、余分な水分を飛ばす「炒める」工程を踏んだ“本物”だったのです。この商品の発売をきっかけに、冷凍炒飯業界の常識が覆りました。これからは本当に炒めた炒飯でないと戦えない、炒飯の新しい戦いの幕開けと直感しました。もともと、冷凍食品のシリーズの中で「赤坂璃宮」という高級中華レストランのシェフ監修の商品を作っていたマルハニチロ。冷凍炒飯も、高級レストランと同じ味を再現した商品を売り出すことに方針が決まりました。目指すのは、完全再現。プロジェクトは、商品技術開発部に所属する私が実際に赤坂璃宮の厨房を訪れ、その調理方法をリサーチするところから始まりました。声がかかったのは2004年、私が入社5年目の春です。すでに米飯の商品開発の経験はあったため、新商品に携わることには何の抵抗もありませんでしたが、まさか厨房で修行とは、さすがに驚きましたね。高級レストランに、食品メーカーの一般社員が入るなんて前代未聞。今思えば、厨房というレストランの心臓部分とも言える空間に、自分のような一般企業の会社員をよく1ヶ月も入れてくれたものだと思います。

厨房で学ぶべきものは、
レシピではなかった。

厨房での1ヶ月間は、会社員であることを忘れて修行に打ち込む日々でした。まずは食器洗いを手伝い、手が空いたら料理人の方たちに質問。調味料の種類や、調理工程の意味、仕込みの目的などたくさん教えてもらいました。でも、私の目的は炒飯です。『完全再現』を目指していたので、とにかくレシピを覚えなければならないと考えていました。なぜなら、秘伝のレシピという言葉があるようにレシピの再現が重要だと思っていたからです。でも、実際は違った。ある時、私がレシピを一生懸命メモしていたら、料理人の方が私に店のレシピを渡して、こう言いました。「レシピが同じなら、私たちと同じものが作れるのですか?」と。その一言に、はっとしましたね。重要なのは、何を入れるかではなくて、どうやって作るか。せっかく厨房にいるのだから、料理人らのその「技」を学ばねばならなかったのです。彼らの技を見ていると、食材を入れるタイミングや絶妙な火加減、そして炒飯をあおる動きなど細かなコツが隠れていることがわかりました。私は次の日からビデオカメラとサーモグラフィーを持ち込み、料理人の周りに設置しました。最終的には機械で料理人の動きを再現するのですから、彼らが感覚でやっている行為をすべてデータとして記録することにしたのです。何度も何度も同じ料理のビデオを撮り続けてわかったことは、料理人たちの動きにはブレがほとんどないということ。調理の工程が完全に料理人の体に染み付いている証拠です。驚きましたね。まさに彼らこそ、機械のように毎回同じ動きをしていることを表しており、開発部的にも素晴らしいデータを取ることができました。

プロの味と、
大量生産の両立に苦戦。

修行を終えて、私はすぐに開発に取り掛かりました。最終的にはラインでの全自動製造を目指しますが、まずはその前段階として、炒飯を炒める工程を担う機械の小型モデルを作り、それを大型機に作り変えていきます。はじめは中華鍋を買いに行き、フライ返しを再現するための羽根にモーターを付けて回転させてみる、学校の工作のような作業から始まりました。厨房で記録した温度と動きのデータを、装置のタイムラインに落とし込み、プログラムを組み込んでいきます。この過程は意外とスムーズに作業が進み、一人前の炒飯を炒める小型機が完成しました。大変だったのは大量生産の装置への作り変え作業。というのも、小型機では一人分の量を作れば問題がなかったのですが、工場で作るとなると、少なくとも一度に数十人分の量を調理しなければなりません。中華料理の命は火力ですが、食材の量が増えすぎると十分な火力で調理ができない。炒め感を出すために長く炒めると焦げてしまい、焦げないように炒めると炒め風味が物足りないという課題も見つかり、米や調味料を入れるタイミングも何度も調整していきました。また今回の炒飯の鍵となる「あおり炒め」の再現も、大型機となるとなかなかうまくいきません。羽根が回転するスピードを速くすれば、食材が増えても問題ないと思っていましたが実際はうまくいかず、羽根の勢いに負けてお米が鍋の外に飛び散ってしまったときには、絶望すら感じました(笑)。どうしたら羽根の回転数は増やさずに米が鍋につく時間を減らすことができるか。そこで私は、「羽根の枚数を増やしましょう」と提案。羽根の形や向き、枚数を何度も検討しながら、炒め感をとにかく追求しました。
生産量の確保とプロの味の両方を守るのは食品メーカーとして大きな課題です。小型機のままであれば、すでに満足のいく炒飯は完成できていました。しかし、大量生産が叶わなければ採算が合わず、販売の道は途絶えてしまう。さらに、次いつ競合他社が新商品を出してくるかわからないので、スケジュール的にも急がなければなりません。プレッシャーは大きかったですね。ですが、いつも職場の雰囲気は良かったです。みんなで「ああでもない、こうでもない」と意見をぶつけながら開発に取り組むことができたのは、部長が「君たちは、開発が仕事なのだから、いいものを作るためにとことんこだわってほしい」と言ってくれたから。そういったおおらかさや、開発に注ぐ熱意はどんな社員からも伝わってきました。だから、大型機が完成したときには「楽しかったなあ!」という気持ちが大きく残っていました。

2年間の苦労の末、
ついに発売へ。

大型機は2005年の春に完成。翌月にはテスト生産を進め、秋の発売を目指して着々と準備が進みました。最初からラインで製造はせず、まずは3台だけ機械を動かし、要所で人が作業を手伝うという方法で生産がスタート。完全ライン化のためには、鍋のセット、油やお米の投入、調理、そして完成品を次工程へ排出、鍋の洗浄、また再び鍋のセットへ進むという様々な工程が必要で、複数の機械を順序よく動かすことで完全な商業用のラインが完成します。そのラインを作る作業にも、私は関わりました。一つの機械がうまく動いても次の機械が動かなければ意味がありませんから、すべての機械のプログラミングを新たに構築し、何度も試運転を繰り返してうまくいくプログラムを組んでいくのです。ちょっと目を離したすきに、鍋の機械だけが動いて、他の機械は動かず、いろんなものに衝突して大惨事になったことも(笑)。2ヶ月ほど交代制でラインを監視し、徐々にエラーを排除しながら機械の不具合を修正していきました。全自動化が完成したのは夏前だったでしょうか。ようやく、秋の新商品として「あおり炒めの焼豚炒飯」の前身商品、「譚総料理長直伝の中華炒飯」の発売にこぎつけたのです。あの時は大きな達成感と「やっとできた!」という感動でいっぱいでした。もちろん、修行でお世話になった赤坂璃宮の料理長にも試食をしてもらい「これは、うちで出しているのと同じだ」と認めてもらうことができたのは本当にうれしかったですね。改めて、「あおり炒めの焼豚炒飯」は他社に比べて“炒め感”がまったく違うという点に魅力があると感じています。そして、プロの調理工程を完全再現しているというのも最大の強み。料理釜が平たく開放形になっているので、食材や調味料を入れるタイミングも人と同じように調整できるのは、マルハニチロのこの機械にしかできない技術。味も、技術も、何もかも他社に負けない商品だと胸を張ってアピールすることができます。

20代最後に、
最大の経験ができた。

私がこのプロジェクトに参加することになったとき「なんで自分が?」という気持ちが大きくありました。ですが今振り返ってみると、まだ29歳だった私に、こんなに大きな仕事を任せてくれたことに感謝していますし、本当に貴重な経験ができたことをうれしく思います。次は私も、同じように後輩たちにたくさんのことを経験させてあげられるような上司になりたいですね。そのときは大変でも、時間を忘れてのめりこめるような、やりがいある仕事を作っていきたいですし、いつかは新しいプロジェクトを自分で立ち上げることを目標にしています。マルハニチロにいて感じるのは、とにかく人が素晴らしいということ。穏やかな雰囲気のなかで、チーム一丸となって開発を進めることができるのは、メンバーの人柄の良さが1番の理由だと思います。こうした環境でこれからもたくさんの魅力的な商品を世に出し、多くの人を笑顔にできる仕事をしていきたいですね。