MARUHA NICHIRO

GL
プロジェクトストーリー
#1

マルハニチロが挑む〈サンマ養殖〉の物語

秋の食卓に、希望の光を

香ばしい匂いと、箸を入れた途端に溢れる脂、口に広がる旨味と遅れてやってくるほのかな苦味。秋の訪れとともに、日本の食卓を彩ってきたサンマは“ただの魚”ではなく、季節の移ろいを感じさせる、日本の食文化そのものといえます。

しかし、この当たり前の光景を、私たちは未来の世代へとつないでいくことができるのでしょうか。

気候変動による海洋環境の変化を背景に、サンマの漁獲量は減り続けています。2025年は、黒潮大蛇行の終息によりサンマの漁場が日本近海に集中し、一時的に水揚げ量が増加したものの、水産研究・教育機構などの専門機関の分析によれば、減少傾向に変わりはないといいます。

この状態が続くと、秋の味覚が私たちの食卓から姿を消すことにもなりかねません。この危機に対し、私たちマルハニチロは世界で初めて事業化を目指す、サンマの養殖プロジェクトを推進しています。このプロジェクトは、いかにして生まれ、なにを目的にしているのか。中核を担う、マルハニチロ養殖技術開発センターの桐生耕造代表取締役に話を聞きます。

「サンマを未来へ」 社員の想いから始まった挑戦

すべての革新的なプロジェクトがそうであるように、サンマの完全養殖もまた、個人の情熱から始まりました。
マルハニチロは、社内公募制度や部門横断の企画が盛んに行われるなど、社員の挑戦を後押しする企業文化の醸成に力を入れています。桐生さんは、このプロジェクトの原点がまさにその機運から生まれたと語ります。

「最初のきっかけは、社内の取り組みである『みんなのサカナクロス』でした。これは、魚とさまざまなテーマを掛け合わせることで、魚の新たな価値や可能性を探る『サカナクロス』の取り組みを発展させた社内アクションです。その中で、伝統漁法である『やな漁』を営む漁師一家に生まれ、幼い頃から魚とともに生活してきた養殖技術開発センターの若手社員から、『サンマの完全養殖にチャレンジしたい!』という熱意ある提案がなされたのです。

10~20年前までは、天然物が大量に安く市場に出回っていたことで、弊社内でもサンマ養殖の研究はさほど進んでいませんでした。しかし、ここ数年の記録的な不漁もあり、我々としても課題を感じていたところ、このような提案が社員からあった。これは持続的な食糧生産供給を担うマルハニチロのある種の“責務”でもあると感じ、研究開発に取り組むことになったのです」(桐生さん)

マルハニチロ養殖技術開発センターの桐生耕造代表取締役

サンマ養殖は、我々が向き合うべき社会課題そのもの

マルハニチロは今、総合食品会社から、食を通じて地球規模の社会課題を解決するソリューションカンパニーへと進化することを宣言しています。サンマ資源の危機は、まさにマルハニチロが向き合うべき社会課題そのものであり、サンマの養殖は、企業パーパス「For the ocean, for life」を体現しているプロジェクトでもあります 。

「気候変動という抗いがたい現実によって、従来の獲る漁業だけでは、海の恵みを持続的に享受することが困難になってきます。サンマ養殖は、こうした課題に対するソリューションの一つと捉えています。一方的に海の資源を収奪するのではなく、管理された環境で、海の負荷を軽減しながら安定的にサンマを育むこと。それは、人と海の新しい関係を再設計し、海のいのちと、それを享受する私たちのいのち、双方の未来をつくるための挑戦です」(桐生さん)

食文化、漁業、そして海の環境。守るべきものはひとつじゃない

古典落語『目黒のさんま』に描かれるように、サンマははるか昔から庶民に愛されてきました。俳句では秋の季語とされ、小津安二郎監督の映画『秋刀魚の味』のように、季節の象徴として家族の風景に寄り添ってきました。おいしさだけでなく、日本人の記憶や感情とも深く結びついた情緒的な存在です。この存在を未来へ繋ぐこと――それこそが、このプロジェクトの核心なのです。

大切なものを守る。それは日本の食文化であったり、漁業であったり、そして海の環境であったり。桐生さんの言葉からは、多層的な「守る」という意志、このプロジェクトに対する強い責任感がにじみ出ています。

「今すぐサンマがまったく獲れなくなる、ということはないでしょう。しかし資源の枯渇や漁獲の乱高下による価格の変化により、秋の食卓に並ぶ機会は間違いなく減っていくことになります。そうすると、消費者の皆さまがサンマを食べる習慣を忘れてしまう。私たちはそうならないように、できることをしていきたいのです」(桐生さん)

その「できること」とは、単に天然のサンマを代替することではないといいます。

「課題を解決することはマイナスをゼロにすることではありません。つまり足りない部分を補完するだけにとどまらない、養殖だからこそ提供できる新しい価値も私たちは生み出さないといけないと思っています」(桐生さん)

たとえば不漁の年には養殖サンマが市場を支え、豊漁の年には天然サンマが「旬の味」として輝く。競合でも競争でもなく、日本の食卓を共に豊かにするパートナーシップのあり方を追い求めたいと桐生さんは語ります。

不可能を可能にした「魚に寄り添う技術」

サンマのように繊細で、生態に謎の多い魚でこれを実現するのは不可能とされてきましたが、その高い壁をいかにして乗り越えたのでしょうか?

「弊社ではかねてよりクロマグロを養殖しておりましたが、これと関係しています。実はクロマグロは環境の変化に極めて敏感な魚。ここで磨き上げた技術を応用することで、飼育の難しいサンマの生残率の向上に繋げることができたのです。いかに魚を驚かせないか、急な環境変化を与えないか、といった“魚に寄り添う姿勢”が肝心です。また魚病を発生させないための水質管理や、成長に最適な飼料の開発も並行して進めてきました」(桐生さん)

魚の生態を深く理解し、ストレスを極限まで取り除く繊細な技術の蓄積が、サンマ養殖という新たな挑戦の道を切り拓くことになりました。そして研究に研究を重ねて、今や天然物の旬の時期に勝るとも劣らない脂質含量、深い味わいが実現可能になったと桐生さんは胸を張ります。

「さらに、養殖ならではの決定的な違いが鮮度です。養殖物は活魚の状態で水揚げし、すぐに出荷できます。また、出荷前には餌止めをして腸の中を空にするため、塩焼きにした際の苦みが少ないのも特徴です。あと養殖サンマの最大の価値は生食が可能となること。その鍵を握るのがアニサキスフリーの実現です」(桐生さん)

アニサキスは、サンマなどの天然魚介類に寄生し、食中毒の原因となる寄生虫。完全養殖では、外部からの影響を受けない環境で、殺菌された海水と管理された配合飼料のみで卵から育てるので、アニサキスの感染サイクルを完全に断ち切ることができるのです。

「卵から減菌海水で育てる完全養殖のサイクルが確立すれば、アニサキスフリーのサンマを、自信を持ってお届けできる。おそらくそう遠くない未来に、事業ベースでそれは実現できると思いますよ」(桐生さん)

これまで加熱調理が常識だったサンマを、刺身や寿司で当たり前のように楽しめるようになる。それは、サンマの食文化における、革命的な一歩と言えるかもしれません。

新しい「あたりまえ」の、その先へ

挑戦は、まだ始まったばかりです。しかし桐生さんは、その先に広がる未来をしっかりと見据えています。

「数年以内の事業化を実現できるよう、コスト意識を持ちながら、これからも研究開発を続けていきます。一日でも早く、この新しいサンマを皆さまの食卓にお届けしたいですね」

桐生さんが語るその言葉には、日本の食文化を未来へつなぐという、確かな決意が宿っています。旬の時期には、豊かな海の恵みである天然物を。そして一年を通じて、いつでも安心して楽しめる、品質の安定した養殖物を。マルハニチロが描くのは、どちらか一方を選ぶ未来ではありません。二つの選択肢が共存し、日本の食卓をより豊かにする未来です。

社員の想いから始まったサンマ養殖プロジェクトは、海と、魚と、そして人に寄り添い続けた企業の技術と哲学の結晶です。それは、失われかけた秋の風物詩を取り戻し、「海といのちの未来をつくる」ための、力強い一歩に他なりません。

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