北太平洋沿岸の諸民族の居住形態の特徴として定住性の高さがあげられるが、それは豊富なサケ資源を背景として成立し得たとされている。サケの捕獲場所は、多くの場合、河口を含む河川内であるが、北アメリカ北西沿岸の北西海岸インディアン諸族では海域においてもサケ漁を行っていたことが知られており、海域において網や銛(もり)、釣りなどによる精緻(せいち)な漁労体系をもつとともに、河川においても網や簗(やな)、籠罠(かごなわ)など多様な漁労技術を用いていた。
北方諸民族のサケの漁法には川中に魚止め柵(さく)を設置する方法、ヤスや鉤(かぎ)など突き取り具を用いる方法、各種の網を用いる方法に大別できる。掬い網(すくいあみ)や流網(ながしあみ)、刺網(さしあみ)などの小規模な漁網が使われてきたが、本州から北海道、カムチャツカ半島、北アメリカ北西沿岸にいたる広範な地域で、網の材料にイラクサ繊維が使われてきた。
北海道アイヌのサケの捕獲場所は、突き取り具や小型の網、捕獲施設などの発達状況から、場所請負制期の大型の引網導入以前では、小中河川あるいは大河川の上流・中流域が主であったと考えられる。サハリン・アイヌでは小河川の場合、河口から上流2-4㎞くらいの地点が主要な捕獲場所となっていたとされ、このような傾向はサハリンに居住するニブフ、ウイルタについても同様であったと考えられる。ツイミ川のような比較的長大な河川の場合、ニブフは上流部にも居住し、サケ類を捕獲していた。カムチャツカ半島でも河川においてサケ漁が行われ、ペンジナ湾のコリヤークでは河口付近やそれより少し上流域で捕獲してきたと報告されている。その他の地域でも、簗(やな)と箱罠(はこわな)を組み合わせた捕獲施設や鉤銛の存在から、上流域でも捕獲が行われてきたと考えられる。
サケを対象とした突き取り具には魚体に突き刺さる先端部分が柄から離脱するタイプがみられ、離脱する先端部分と柄は紐(ひも)でつながれる。この離脱機構は大型の魚種を上方向へ取り込むときの衝撃を緩和し、漁具の破損や取りこぼしを減少させる機能をもつものと考えられる。離脱機構をもつ突き取り具のなかで、本州北部で使われた「かさやす」は海獣狩猟民が用いる離頭銛とまったく同じ形式、機能をもつものであるし、本州北部にみられる「袋鉤」や北アメリカのアサバスカ・インディアンのキャリアーにみられる「引掛け鉤」は鉤の基部が袋柄状で本柄に装着され、手前に引く動作で魚体を引掛け、鉤が離脱することで捕獲時の衝撃を緩和する機能をもつ。このほかにアイヌ、ニブフ、エベンキ*、そしてカムチャツカ半島のイテリメン*、エベン*、コリヤークにみられる「鉤銛」は多くの場合その鉤に「かえし」をもたず、鉤の先端部分が前方に向くように、その基部を柄の先に半固定して用いられる。
ただし、例外としてサハリン・ツイミ川のイトウ漁に使われたニブフの鉤銛は鉤の先が手前を向くように装着された。北海道アイヌでは、現存する資料からみるかぎり中柄の溝に鉤の基部が装着されている。中柄と鉤をつなぐ鉤紐を鉤の基部で糸や細紐で巻き込み、その巻き糸(紐)のふくらみが溝への半固定を確実にしている。サハリン・アイヌではこの形式および柄に溝をもちながらも鉤の基部が巻いた紐に挿入されて半固定される形式が知られている。ニブフのサケ漁用鉤銛では鉤は巻いた紐で半固定される。カムチャツカ半島のイテリメン、コリヤークでも巻き紐で半固定される。
同じくカムチャツカ半島のエベンでは巻き紐で鉤が半固定されたと思われるが、現存するもののなかには鉄輪に挿入して半固定されるものがある。なお、イテリメン、エベン、コリヤークは鉤銛をmarikと呼び、エベンは柄、鉤の先端部、胴部、鉄製リング、鉤紐に対するそれぞれの名称をもち、ことに鉤紐がクマ皮から作られていることは興味深い。
さらに、カムチャツカ半島の鉤銛の形状には巻き紐や鉄輪に挿入する部分をもたないタイプがある。この形式はイテリメン、コリヤーク、エベンにみられるが、紐穴を通して皮紐を柄に巻き付けることで鉤は半固定状態に保たれる。この形式の鉤銛には大型のものや鉤の先端が二重になっているタイプがあり、それらはアザラシ猟に用いるという。このように半固定の方法や鉤の大きさに違いはあるが、同様の作動形式の突き取り具が北海道、サハリン、カムチャツカ半島にみられることは、サケを生業基盤とする地域における文化交流を示唆するものと考えられる。
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