SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

第2回 アイヌの知恵・鮭は「カムイチェプ(神の魚)」

アイヌの「寒干し中の鮭」(アイヌ民族博物館所蔵)

アイヌは鮭をカムイチェプ(神の魚)と呼び、また、シペ(本当の食べもの)と呼ぶ。それほどアイヌにとって鮭は特別な存在でした。
アイヌの食事を紹介した「聞き書 アイヌの食事」社団法人 農山漁村文化協会発行などから、私たちは実際に、アイヌの人たちが、どのように鮭を食材として利用してきたか、また、いかに鮭を重要な食べものとして生活をおくっていたかがよくわかります。
以下に、その一部を抜粋させていただき、ご紹介させていただきます。
アイヌと鮭
アイヌは熊を送るまつりを行う。そのことが知られるようになるにつれ、アイヌは狩猟民族であり、おもな狩猟の対象は熊だと思われる向きがあった。
しかし、アイヌが熊を狩るのは、食料としてよりも、むしろ射止めたその熊を神の国にお送りするまつり、つまり宗教儀礼を行なうというほうに重きをおいていた。
 
食料として好んだのは鹿肉のほうであった。ユーカラなどの語り物の中にも、少年がはじめて狩りに出て鹿を射止めるくだりがよく出てくるが、この場面はふんだんに慣用句を使い、事細かく描かれる。狩りに成功して帰ってきた少年に対する驚嘆の声や、調理のしかた、料理に舌づつみを打つ様子などもほほえましく語られている。
鹿は群れて行動することが多い。それを利用して鹿笛でおびき寄せたり、崖の上に追い上げてそこから一気に落としたりする猟法もあって、それら鹿猟にちなんだ地名も明治の末期までは地図の上でも北海道各地にみられた。アイヌ語で鹿はユクだが、同時にこの語はけものの意味にもなる。
アイヌが狩猟民族には違いないが、生活の中心は漁労であった、とする説も多い。鮭のことをアイヌ語でシペ(シ・イペ)というのもその理由のひとつ。「本当の食べもの」という意味だからである。ほかにも、サキペ(サクイペ)(夏の食べもの=ます)、タンネイペ(長い食べもの=うなぎ)など、魚の名前が即、食べものを意味する例は多い。
アイヌのコタン(集落)は、交通路ともなる河川に沿ってつくられることが多いが、とくに鮭の遡上する川筋が喜ばれた。鮭にゆかりのある地名は、鹿に関する地名よりも多く、鮭やますの産卵する場所や、梁(やな)を仕掛けやすいような瀬にいたるまで、こまごまとつけられていた。


アイヌは鮭のすべての部位を使いこなす。頭も干して、だしに利用する。





マレクという鉤銛(かぎもり)による鮭猟。鮭は魚のなかでも最も神聖とされ、頭や皮までも余すところなくありがたくいただく。



カッコウとツツドリの夫婦神。





鮭猟をする船。鮭は「カムイチェプ」(神の魚)と呼ばれる自然からの贈り物。





その年はじめてとれた鮭には「よく来てくださいました」と盆にのせて感謝し、そのあと料理する。

鮭にまつわる物語や歌、それに地名伝説なども、鹿とは比較にならないほど多い。漁法にも鹿猟には見られない独特のきまりがある。そのひとつに、イサバキクニ(その頭を打つ木)という削りかけのついた棒で、とった鮭の頭を一本一本打つということをあげることができる。その棒はイナウ(木幣)になって鮭が神の国に帰るときのおみやげになると考えられ、それをしないで神の不興を買ったという話なども各地にある。
神の国で、魚の入っている家を守って暮らしているのはカッコウとツツドリの夫婦神で、北海道にはこの神が漁兆を示すという言い伝えが残っている。それは春になって神が外に出るときの出方で決まる。男神が先に立つと、女神はていねいに戸口を閉めるが、女神が先だと男神はろくに閉めずに妻の後を追うので魚がそこから出るため、豊漁になるのだという。そのため、女神であるツツドリが男神であるカッコウより先に鳴く年は大漁になるといって喜んだ。(中略)
最近は、自然の美しさだけを愛でることが当然のように思われる時代になったが、自然を相手に暮らすことは容易なことではない。どの時期に、何を、どこで手に入れ、どのような方法で処理するか、その知識がなければ生活はできなかった。
どんなに才覚があっても、人間の力ではどうしようもない不測の事態に直面することもある。最も恐れられたのは、ケンラム(飢饉)で、その様子は文献でも見られるし、今日まで語り伝えられている。アイヌの人々の加工・保存食も、冬期のための備えであると同時に、飢饉に備えてあみだされ、発達したものと思われる。(後略)

*以上は、日本食生活全集48 聞き書 アイヌの食事」1992年11月 社団法人 農山漁村文化協会発行の「はじめに」萩中美枝より抜粋させていただきました。
鮭利用の全容
北海道・静内地方の鮭料理

初ものの鮭に感謝をする。

カムイチェプ(鮭)は魚の中で最も重要な食材である。秋になると群れをなして川をさかのぼってくる鮭は大量に捕獲でき、冬を越すための保存食の調製には最も好都合な魚である。

その年はじめてとれた鮭には、「よく来てくださいました」と盆にのせて感謝し、そのあと料理する。アイヌの人々は生の魚を炊いたり焼いたりしても食べるが、保存用に乾燥させて貯蔵して利用することが多い。(以下、織田ステノさんから聞いた魚の利用法)
1、ルイぺ
1尾のままではらわたも入ったまま凍らせたものがルイぺで、10本ほど木立にぶら下げておく。1、2月ごろ、退屈なときに、ルイぺを食べに遊びにくるようにと近所の人同士で誘い合い、お互いに行ったり来たりして食べる。
とくにカムイノミ(神々への祈り)の翌日、泊まっている人たちに食べさせると口当たりがよいと、とても喜ばれる。ルイぺはトノト(酒)を飲みながら食べたりすることはなく、正気のときに食べる。
次にルイぺの食べ方の手順を述べる。
1、 最初に頭とえらをとる。
2、 腹に下から包丁を入れる。
3、 はらわたをとる。
4、 めふん(腎臓または背わた)をとる。
5、 三枚におろす。
6、 身を約1寸5分(約4.5cm)幅に6つくらいに切る。
7、 水に入れる。
8、 手で血合いをとってしぼる。
9、 生で食べるか、または一切れずつ塩をふって食べる。
かんかんに凍(しば)れているときはルイペに縦に串を通し、それぞれ個々に火をあぶって皮が焦げないように解凍しながら食べる。皮も食べてしまう。

干し鮭(アタッ)。乾燥させることによってひと味ちがった食べものに生まれかわり、食卓を豊かにすると同時に貯蔵性を増す。

2、乾燥鮭
保存用の乾燥鮭をつくるために、十月ごろ鮭を10本くらい用意する。産卵が終わったあとのほっちゃれは乾燥させると縮んでしまうのであまりよくない。
次に乾燥鮭のつくり方を述べる。
1、 鮭の背を下にして、腹をさいてチポロ(筋子)をとる。
2、 えらにはらわたをつけてとる。
3、

めふんに包丁を縦に入れて、頭のほうから手でかきとる。

4、 鮭を立てて頭を切り落とす。
5、 しっぽを足で押さえ、頭のほうから上身を離し、骨を離す。
6、 皮を内側にして乾燥させる。
以上のようにして乾燥させたものをアタッ(干し鮭)という。
さらに、塩引きしてから乾燥させる場合もある。これは鮭を腹開きにした後、皮面に二つつかみ、内側に四つかみの塩をまんべんにまぶして、木箱に入れて塩引きにし、その後洗って水を切ってから乾燥、燻煙する方法である。塩引きにしたほうが美味である。水が切れたら10本くらいずつ束ねて、梁(はり)に棒を通してつるしたり、天井に上げて乾燥しておく。一年中煙をあてることになるので虫がつかない。


干し鮭(アタッ)の塩味炊き。保存用の乾燥鮭を、小さく切り、一日がかり炊く。やわらかく、すこぶる美味。

乾燥鮭の食べ方は、塩引きしないものと、塩引きしたもので異なっている。
まず、塩引きしていない、からからに乾燥したアタッは、イタタニ(まないた)の上にのせ、尾びれを切り落とし、二本に分ける。それを三寸くらいの大きさに切って水に浸し、その後大なべに入れ、水をひたひたに加えて一日がかりで炊く。
適度に炊けたら、塩大さじ一杯とたらの脂をしゃもじで一杯加え、焦げつかないように弱火で水気がなくなるまで炊き、すだれの上に広げて冷ます。冷めたら一切れずつもらって食べる。小骨も全部やわらかくなりすてるところがなく、とてもおいしい。(中略)
塩引きして乾燥させた鮭のほうは、石の上でたたいて一寸三分~二寸(約4~6cm)ほどに切り、身をほぐしながら食べる。仕事に出かけるときに二切れほどふところに入れて持って行き、歩きながらかじったり、また弁当がわりにもする。家に帰って、おなかのすいているときにもよく食べる。
乾燥鮭を切ったときに出るひれの部分はとっておいて、カムイノミ(神々への祈り)のときにきざんで火に燃やし、神のところに帰してやる。
3、生鮭の切り身
切り身はそのまま塩焼きにしたり、オハウやルル(いずれも汁もの)に入れて食べる。
4、鮭のルルまたはオハウ(汁もの)
カムイチェプ(鮭)の切り身がどんぶり一杯くらい、にんじん太さ一寸くらいのもの三寸、こんぶ三、四本、大根太さ二寸くらいのもの三寸、ごぼう太さ一寸くらいのもの三寸の材料でつくる。そのほか白菜やねぎも入れる。秋から冬にかけて、鮭が手に入ったときつくる。
(※ 一寸は約3cm、分は約0.3cm)
5、頭の利用
頭はチタタプ(たたきのようなもの)に用いられ、残りは焼干しやルル、オハウに用いられる。目玉は生のままくりぬいてあめ玉と同じようにしてしゃぶりながら食べる。ゆでだこと同じような味がし、子供たちはとくに好み、鮭の頭から目玉をくりぬいては、つかまらないように逃げる。
チタタプは生の鮭があるときだけつくる。鮭の軟骨の「たたき」のような料理である。材料は鮭の頭二個に対してえら三尾分、ウプ(白子)一はら、昆布七寸、ねぎ一本である。


鮭の目玉。子どもの大切なおやつになる。

歯の部分とえらの固いところをとり除く。
えらは出刃包丁の背でしごき、血をきれいにとる。

頭の軟骨とえらをきれいに洗う

頭の軟骨とえらをイタタニ(まないた)の上で最初はなたでたたく。
細かくなったらその上に白子を置いてさらに細かくたたく。
焼いた昆布を加え、ねぎを加え、塩を大さじ一杯加えてさらにたたく。
ねばり気が出てきたら出来上がりになる。大切なことは血をきれいにとり除くことであり、生ぐさみは焼き昆布やねぎのにおいで消える。ねぎのほかにメンピロやタマピロ(いずれも、のびる)も使う。
頭の焼干しは火棚の上でからからに乾燥させサラニプ(袋)などに入れて保存しておき、粉末にしてだしに使う。


鮭からチポロ(生の筋子)を取り出す。

6、チポロ
チポロ(生の筋子)はチポロサヨ(おかゆ)、チポロラタシケプ(筋子とじゃがいもを混ぜた煮もの)、チポロシト(筋子を混ぜただんご)に用いられる。これらの料理をつくって余った筋子は洗ってから塩をしておく。二、三日するとねばってくるので、ごはんと一緒に食べる。
7、ウプ
ウプ(白子)は切って塩をしてそのまま生で食べたり、チタタプやキナオハウ(野草や野菜の汁もの)の材料として用いる。また焼いて干して保存したものは、オハウ(汁もの)などをつくるときにも用いる。
8、めふん、はらわた、ひれ
めふんは塩つけて、生のままですぐ食べる。はらわたやひれは桶や一斗缶などに入れて塩をしておき、冬期間にチタタプにして食べる。胆のうは除く場合が多い。
9、魚の骨の利用
ルルの食べ残しの骨などを集めて焼いたり、そのままサラニプ(袋)に入れて干しておく。他にたべるものや魚がないとき、臼にいれて細かくしてオハウ(汁もの)などに入れる。
オンネフチ(おばあちゃん)は、魚の身を食べるより骨のほうがからだによいと話していた。
北海道・浦河地方の鮭料理

鮭・ますを恵む川面に
焼干しづくりの香ばしい煙が流れる



浦河コタン(集落)を流れる荻伏川(おぎふしがわ)の両岸に肥沃な土地が広がる。

川では鮭、ますなどが多くとれ、人々は魚の動きに合わせて移動し、流域には何か所にも漁小屋が建てられる。魚は豊富でも必要な量以上は決してとらず、とれたらすぐにも焼干しにして保存され、一年の食を支える。
魚の焼き干し
「魚の焼き干し」はお汁をはじめ、いろいろな料理の「だし」に使われる大切なもの。焼干しづくりは早ければ、7月下旬からはじめるが、ふつうは9月から10月にかけて数家族がまとまって行なう。
焼干しにする鮭、ます、うぐいなどの魚は、釣り具、網、簗(やな)や筌(ふせご)などの仕掛け、鉤銛(かぎもり)、弓矢などを使ってとる。とくに産卵期には魚群が海岸に寄ってきたり群れて川を遡上するので、人々も魚の動きに合わせて移動する。ときには一ヶ所に1,2ヶ月も滞在して漁をすることもあるので、海浜や河川流域など数か所に漁小屋が建てられている。漁小屋は長期滞在ができるようにしっかりした家であり、いつでも使用が可能なように、焚き木、食料、調理用具、敷物や寝具などの諸準備がなされている。
また、魚は降雨期に川を遡上するので、とった魚をすぐ干せるように漁小屋の近くに燻製小屋が設けてある。
雨にぬれた焚き木や生木は煙を多く出すので、魚の干しあがりはおそいが味つけには絶好である。
焚き火は燻製小屋の中のほか、屋外ですることもあるが、いずれも距離をおかずに2,3カ所で終日炊き続ける。夕暮れから朝方にかけては日中ほど焚き火をくべないで、残り火を使って魚を焼いていく。何か所かで焚き火をするのは、蝿が卵を産みつけないように早々に焼きあげるためであり、魚の処理法によって焼干しのつくり方が変わることにもよる。
大型の魚の焼干しのつくり方
捕獲した魚はまずうろこをはがす。左手の親指と人差し指の指先を魚の両眼に当ててはさみ、右手に持った刃物を魚体に沿って寝かせるか、少し浮かせぎみにして尾のほうから逆なでするようにして片面のうろこをはがしていく。利き手が逆の人は刃物を持つ手と魚を押さえる手を逆にして、同時に片面ずつうろこをはがしていく。両面のうろこをすっかりはがし終わると、次に魚をおろすが、目的にって、また魚の大きさによって身のおろし方は異なる。
① 頭と内臓をとった焼干し
大型の鮭、ます類は頭を切り落とし、のどもとから肛門に向けて刃先を鋭角に走らせて腹腔(ふくくう)を開く。左手の親指と人差指で上側の腹を押さえて外側へめくりあげ、右手で肛門近くに及んでいる浮き袋の端を手でさぐり当てて腹膜から1,2寸ほど引き離す。
浮き袋の一部と大腸などをむんずとつかんで勢いよく手前へ引くと、内臓はひとかたまりになってむける。上達すると腹腔や肉に血をつけることはないが、引く要領が悪ければ途中でひっかかったりして、魚を血で汚すことにもなる。次に、中骨の腹腔側に三角錘のように付着している背わたをとる。背わたの両端を刃物で肛門側から手前へなぞって厚い被膜を切ってしまう。右手の人差指の先で背わたの肛門側をいくぶん掘り起こし、肋骨が左右に開く谷状の合わせ目をなぞるように一気に手前へ引くと、背わたがきれいにとりはずせる。背わたをとるのは塩辛などに使うためでもあるが、蝿が卵を産みつけないための防止策でもある。
内臓や背わたをとった魚はよく水洗いし、焼き串を中骨に沿って尾近くまでさして、第一の焚き火のそばの地面に突き立てる。このとき切り開かれた腹腔部を焚き火に当てるようにする。尾は火炎のあがり方を見て適当に焚き火側に傾ける。腹腔内の水分が蒸発し、ハラシ(腹側の身)に焦げ目ができ、ハラシの脂が湯玉のようになってしたたり落ちはじめると、串を45度回して側面を、次いで背を、さらにもう一方の側面を焼いていく。


あめますの焼干し
頭と内臓をとっただけのこの焼干しは、魚皮に魚のうま味が守られて、食べて一番おいしいが、身が厚いのでなかなか焼干しになりにくい。焼けたと思っても、中まで十分に火が通っていなければ、気づかないうちにうじがわいていることある。鮭やますは初秋から冬の間までとれるので、蝿も少なくなり焼干しづくりの時期がはずれたころに、数ひきぐらいをじっくり炉端で焼くとよい。
なお、切り落とした頭は、丸のまんまほかの焚き火の棚の上にのせて焼く人もいるが、外見は焼けても中まで火が通っていないことがあるので、多くは頭の頂から鼻先にかけて二つ割りの開きにして焼く。人によってはえらがあると干しにくいからといって、えらを頭からはずし、ぬめりや血を抜いて棚の上で焼きあげることもある。
② 開きの焼干し
大形の魚は開きにして焼干しにすることが多い。開き方は腹割りと背割りの二通りある。ふつうは背割りにする。
頭は切り落として別々に焼干しをつくる方法もあるが、かえって手間がかかるとして、頭をつけたままで鼻先から尾へ背割りにする方法が一般的である。頭の骨をうまく割るために、左手で魚の首のあたりを押さえ、鼻先が手前になるようにして立て、後頭部へ刃物を深くさす。浮かせてはまたさすようにして、手前の鼻先へと刃物を移動させる。頭が二つに割れたら、背を横のばしにしたり、右側に立ててのばしたり、あるいは斜めにのばすなど開きやすいようにして、首のつけ根から中骨の上面に刃物をすべらせながら尾のつけ根へと2、3度運んで、腹のほうへと開いていく。内臓のおさまっている部分を覆うように肋骨があり、その上を切ると内臓が取り出しにくくなるので、開きやすいように肋骨のつけ根を途中で切っておく。


鮭の開きの焼干し
皮一枚残して身を開き、頭もさらに割って一枚の開きにする。上下のあごからえらのつけ根を切り離して手前に引くと、それにつながるように内蔵も離れてくるが、背わただけは左右の腹のへりに付着しているので、指先でかきとってしまう。
そのまま焼干し棚の上にのせてもよいが、半身がはためくので、2、3本の横串を打つこともある。横串は身の中を通さず、両端だけにさすほうがよい。身の中に打つと、焼きあがってから容易に串は抜けないし、抜き出そうとすると身が大きく割れたりくずれたりして運びにくい。背開きにしてから、さらに干しあがりを早くするために、中身をとり除いて串を打つこともある。
焼干し棚に身を下にしてのせ、焦げ目がつくころにひっくり返して皮側を焼く。必要に応じて二度、三度と反転させ、十分火が通ると、ひもで二枚の尾のつけ根を結び、物干しにかけて風に当てる。その日の晩方か翌日には、燻製小屋でさらにいぶしにかける。頭や中骨、えらなども同じようにして焼干しにする。
③ おろし魚の焼干し
二枚おろし、三枚おろしは、頭を切りとってから腹を裂いて内臓を出す。腹か背を手前に横のばしにし、中骨の上面に沿って尾のつけ根まで切り開いて二枚おろし、三枚おろしをつくる。どちらも尾のつけ根を利用して半身を反転させて物干しにかける。蝿のいない晴天の日に干すのが一番よいが、漁の盛りのときは多量の魚を処理しなければならないので、よくないことを知りながらも行われる。水が切れて表面が乾きはじめると、蝿が卵を産みつけないように燻製小屋に入れて煙をかけ、再び外の物干しにかける。さらに、一、二度煙をかけて干しあげる。
三枚おろしの場合、乾燥を早めるために、首から尾にかけての半身に幾本かの筋を刃物で入れることもある。この方法は、大形のかれい、かすべ、えい、かじか類、あんこうのほか、細長いぼら、ぎんぽ、小型のさめ、そしてたこなどにも幅広く応用される。
④ 白子の焼干し
内臓のうち白子は、水をはった容器にしばらくうるかしておくと、血が抜けて白みを増してくる。二、三度水をとりかえてから焼干し棚にのせる。はじめは弱火で両面をあぶり、徐々に火を強めて中火くらいで焦げ目をつけて焼きあげていく。白子の焼干しは、もっぱら秋鮭を中心に行われる。
*以上は、日本食生活全集48 聞き書 アイヌの食事」1992年11月 社団法人 農山漁村文化協会発行より抜粋、紹介させていただきました。
引用・参考文献
「日本食生活全集48 聞き書 アイヌの食事」社団法人農山漁村文化協会1992年11月発行
北海道サケ友の会 20年のあゆみ「碧」
「日本のサケ」市川健夫著 NHKブックス 昭和52年8月発行
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