
使われていない資源の有効活用へ

1927年カムチャッカでの塩鮭の生産風景
今をさかのぼること100年。人間よりサケの数のほうが多いほどだったカムチャッカ半島で、創業者堤清六は堤商会(旧ニチロの前身)を設立し、貴重なたんぱく資源としてサケを日本に供給しました。そこにはすでに「この大量のサケを有効利用しよう」というサケへの熱い思いがあり、これをきっかけにカムチャッカ半島では多くの工場でサケを原料とした商品が生産されるようになりました。
創業2年後の1910年には、安値で買い叩かれていたベニサケを使ったサケ缶の製造を開始。まさしくあけぼの印サケ缶の始まりです。大量生産をするため、アメリカから製缶機を買い付け、生産された製品は英国にも輸出して、外貨を得ることができるようになりました。使われていない資源を有効利用し、事業を興して雇用機会を作って地域に貢献しながら、良質な食品を提供し外貨獲得を行う――この姿勢が、サケ缶普及への大きな流れとなりました。
ラベルに記された熱い思い
当時、最も主要なサケ缶の輸出先は英国でした。やがて「DAY BREAK BRAND(あけぼの印)」ラベルのサケ缶は世界にも知られるようになり、パナマ万博にも出展して高い評価を得ました。
「あけぼのさけ」の缶ラベルには大正時代から「消費者ニ味方スル者ハ最後ノ勝利者ナリ」と明記されています(現在は復刻版に明記)。これは「製造・販売・消費」という流通ルートのなかで、食品メーカーとしてつねに消費者の立場に立つという強い意思を示しており、現在でも「復刻版あけぼのさけ」のラベルに推奨マーク※として刻まれています。
※推奨マーク 1920年代、「缶詰普及協会」が発行した推奨マークに書かれていた言葉。

推奨マークの入ったラベル

1924年に発行された「さけ」缶詰料理の栞

「あけぼのさけ」を生産しているマルハニチロ北日本釧路工場
技術や時代が進化しても変わらないブランドへの信頼
地域のなかに入って技術を開発し、そこで食料を供給して生きていくという意識は、今のマルハニチロに受け継がれているDNAのひとつです。1つの缶詰ができあがるまでのさまざまな工程に込められたストーリー、それは「あけぼのさけ」がこれまでにたくさんの試行錯誤を繰り返して歩んできた道でもあり、手塩にかけて育ててきた人たちの軌跡でもあります。
また、「あけぼのさけ」の歴史は、日本が二度にわたる世界大戦を経験し、その後の復興をなしとげ、世界でも有数の経済大国となった時代と重なります。そのようななかで、原料となるサケの確保、漁業問題への直面、技術改良による味や品質の向上を図る一方で食品としての安全基準の確保など、さまざまな課題や問題にも積極的に対応してきました。
100年前から受け継がれてきたDNAには〝消費者に味方する〟ものづくりの姿勢が刻み込まれています。




